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2010年12月23日木曜日

2011年のニュースメディア

米ブログメディアMashableに来年(2011年)のニュースメディアを取り巻く状況を予測する英文記事が掲載されています。


本記事では、今年のニュースメディアにおける2大潮流を「モバイルへの適応(多くのニュースメディアが携帯端末向けに情報の発信を開始)」と「ソーシャルへの適応(多くのニュースメディアがソーシャルメディアの活用を開始)」としたうえで、来年(2011年)のニュースメディアにおける10のトレンドを予測しています。米国視点ではありますが、非常に示唆に富む内容でしたので、概略をまとめておきます。正確な情報、あるいは完全な情報については原文をご参照ください。

1. 情報漏洩とジャーナリズム


2010年、ウィキリークスは無数の物議を醸す情報をリークした。2011年にウィキリークスの創始者、ジュリアン・アサンジ氏はいくつかの国から起訴されることが予測される。しかし、仮にウィキリークスが潰されたとしても、新たな「情報漏洩ジャーナリズム」の担い手が出現し、我々は2011年も多くの漏洩情報を目にするだろう。現段階でも既に Openleaks、Brusselsleaks、そして Tradeleaks が存在している。

2011年は情報漏洩ジャーナリズムの担い手同士による競争が激化することが考えられる。情報漏洩のスケールや情報配信技術、ニュースメディアとの連携といった要素がその勝敗を分け、恐らくいくつかの担い手は消え去るだろう。

2. 業界再編


2010年の終わり、TechCrunchはAOLに、NewsweekはThe Daily Beastにそれぞれ買収された。こうした動きによって、新興メディア企業やブログメディアの価値が値踏みされている(高く買収される新興メディアやブログメディアは、それだけ価値が高い)。

2011年、従来メディア企業は引き続き凋落することが予想される。そのため2010年同様、2011年も我々は新たな業界再編劇を目にすることになるはずだ。

3. 携帯端末向けのニュース


2010年、携帯端末から多くのニュースが見られるようになった。今、メディア企業はこの状況を真剣に受け止めている。多くのメディア企業が携帯端末向けのニュース配信サービスを開始するなか、マードック氏のNews Corpは2011年初頭、満を持してiPad向けニュースアプリ「The Daily」を投入する。現時点でiPadは世界累計1570万台が既に販売されており、来年はこれが倍増するものと見込まれている。さらに多くのニュースが携帯端末から見られるようになるだろう。

2011年、より多くのメディア企業が、「ウェブサイト・ファースト(まず第一にウェブサイトについて考え、次に携帯端末について考える)」から、「モバイル・ファースト(まず第一に携帯端末について考え、次にウェブサイトについて考える)」にシフトすることが予想される。

4. 位置情報を利用したニュース


2010年、Forsquare(フォースクエア)やGowalla(ゴワラ)、SCVNGRなど、我々は位置情報を利用した多くのサービスを目にしてきた。FacebookやGoogleといったビッグ・プレイヤーもこの流れ(位置情報をサービスに利用する)に乗っている。現時点では位置情報を利用サービスはあまり普及しているとは言い難いが(たかだか大人のオンラインユーザ全体の4%程度)、今後もますますサービスの質は向上していくだろう。

2011年、より多くのニュースが携帯端末から見られるようになる中、いくつかの位置情報を利用したニュースサービスがスタートすると予想される。仮に従来メディア企業がこの流れに乗らなかった、あるいは開発できなかったとしても、新興企業が同種のサービスの担い手となるだろう。

5. ソーシャルと検索


2010年、世界中でソーシャルメディアの利用率が増加、米国ではフェイスブックは単独で全ページビューの25パーセント、サイト訪問者数の10パーセントを占めた。2011年は「検索エンジン最適化」対策に代わり、「ソーシャルメディア最適化」対策に主軸が移るだろう。

ニュース業界のアナリストによると、フェイスブックやツイッターを中心としたソーシャルメディア経由によるニュースサイトへのアクセスが急激に伸びているようだ。そして、検索エンジン経由の読者よりも、ソーシャルメディア経由の読者のほうが、ニュースサイトにとっては「質の高い読者」になる可能性が高い。

6. 海外特派員の廃止


海外特派員の役割は、2011年にほぼ無くなる可能性がある。ロイターの研究機関による最近の調査によると、これまで海外特派員が担っていた役割は、デジタル・テクノロジーの普及により、「クラウド・ソーシング」のような形で現地市民が担うようになりつつあるようだ。また、アジアやアフリカの情勢が安定するにつれ、現地メディアも力をつけてきた。2011年、多くのニュースメディアは、ソーシャルメディアにアップロードされるコンテンツに、より依存するようになるだろう。

7. ニュースの流通とキュレーション


2011年、現在のニュースの流通モデルは崩壊するだろう。ニュースの再利用が進むと共に、コンテンツ市場は細分化され、「ニッチ」が鍵となってくる。ニッチメディアは、従来のニュースメディアが配信する記事をキュレートし、独自コンテンツの作成に注力するようになるだろう。一方で従来のニュースメディアは、人員削減やコスト圧縮を進めながらも、キュレーターを目指すようになる(流通モデルの整備よりも、コンテンツの開発に力を注ぐようになる)。

この動きはCNN.comやNYTimes.comで既に確認できる。両サイトにあるテクノロジー関連のページには、ニッチなテクノロジー系メディアから集めてきたニュースの見出しやコンテンツが並んでいる。従来メディアにはこれまでに培ってきた信頼性があり、こうしたキュレーション・メディアではこれが有効に働く(キュレートされたコンテンツに対する信頼性が高い)。

8. ソーシャル・ストーリーテリングの実現


2010年、ソーシャルメディア上のコンテンツが「文脈」を持つようになってきた(ソーシャルメディア上で、ニュースの意味や重要性などを示唆してもらえる、あるいは把握できるようになってきた)。

2011年は多くのテクノロジー企業がキュレーション・ビジネスへ参入することが予想される(ここでのキー・プレイヤーとして、フェイスブックやツイッターが名乗りを上げても不思議なことではない)。そしてその結果、我々はソーシャルによって形成された(ソーシャル・ストーリーテリングされた)文脈や、ノイズの中にある必要な情報に、効率よくアクセスできるようになるだろう。

9. ソーシャルメディアの浸透


2010年、ニュースメディアはソーシャルメディアに真剣に取り組みはじめた。USA Today、The New York Timesを筆頭に、多くのニュースメディアがソーシャルメディアを扱える編集者を雇ってきた。

2011年、ソーシャルメディアはニュースメディアのビジネス戦略にさらに深く組み込まれるようになるだろう。これまで以上にソーシャルメディアを扱える編集者を増やすことが予想される。ソーシャルメディアの扱いもより高度になっていくはずだ。報道業務の様々なシーンにおいて、ソーシャルメディアが利用されるようになるだろう。

10. インタラクティブTVの勃興


2010年に話題になり始めたインターネットTVは、2011年になると浸透し始め、従来TVによって独占されていた広告シェアを徐々に侵食しはじめるだろう。また、インターネットTVの利用者が増えることで、映像コンテンツもより一層消費されるようになる。

テレビへの接し方も徐々に変わってくることが予想される。テレビを見ながらインターネットを利用する、特にツイッターやフェイスブックで反応しながら、インタラクティブにTVを見る層が厚くなるだろう。

2011年のキーワードは「モバイル」「ソーシャルメディア」そして「キュレーション」になるのでしょうか。

日本のメディア業界にとっても、激動の一年になるかもしれません。

2010年12月16日木曜日

ジャーナリストによるソーシャルメディアの利活用 #jef2010

今回も『ジャーナリストエデュケーションフォーラム2010』から。これで最後です。

本フォーラムのディレクター・藤代氏によるワークショップセッション『ジャーナリストのためのソーシャルメディア講座』では、「ジャーナリストはソーシャルメディアをどのように活用していけば良いのか」について、活発な議論が展開されました。他社の現場の声を直接聞くチャンスは普段なかなか無いため、私にとっては非常に貴重な場となりました。「情報共有」というほどのものでも無いのですが、私がメモした範囲で本セッション中の議論内容をまとめておきます。

1. ジャーナリストはソーシャルメディアをどう活用できる?


  • 情報収集(聞く、見る、探す)
  • 情報発信
  • 情報確認
  • ブランディング(存在を知ってもらう、信頼を得る、ファンを得る)

2. 普段どのように情報を収集している?


  • ツイッター、バズッター、2ちゃんねるなどから取材のきっかけ(端緒)を得る
  • ウィキペディアの項目を参考にしながら取材を進める
  • ツイッターのハッシュタグを追いかける
  • メールマガジンで読者に情報提供を求める
  • SNS、ツイッター、ブログなどで、関係者や専門家にアプローチする
  • 記事にアンケートを付けて読者から情報を集める
  • あえて「偏った」記事を掲載して、関係者や専門家からのコメントを引き出す
  • ミクシィのコミュニティを調べる

3. ソーシャルメディアのアカウントはどのように使い分けている?


  • 特に使い分けていない(全て同じアカウント名にしている)
  • サービス毎にアカウント名を変えている
  • 同一サービスで複数アカウントを使い分けている

4. ツイッターでどんな人をフォローする?


  • キャラが面白い人
  • 自分のツイートに対してコメントやRTを返してくれる人
  • その人ならではの情報を発信している人
  • 生情報を出してくれる人(情報源となる人)
  • tudaっている最中に参考情報を提供してくれる人
  • ツイートのテーマがぶれない人(常に自分が関心のあるテーマについてツイートしている人)
  • 応援したい人

このブログでは以前、米国の事例を取り上げたことがありました。


このときは、日本のメディア業界やジャーナリストの間で、報道現場においてソーシャルメディアが巧く活用されるようになるのはもう少し先になるかな、と考えていましたが、もしかしたらもうそれほど先の話では無いのかもしれません。前回の記事でも触れたlibrahack事件でもそうですが、人によっては現時点でもかなり巧くソーシャルメディアを活用されるようになってきています。今後は、使えている人(企業)と使えていない人(企業)、あるいは問題意識のある人(企業)と無い人(企業)の差が益々広がっていくのかもしれません。

ソーシャルメディアのリテラシについても、改めて考えてみたいところです。

2010年12月15日水曜日

ニュースサイトの苦悩 #jef2010

今回も『ジャーナリストエデュケーションフォーラム2010』から。

Yahooトピックスの編集に携われている奥村氏によるワークショップセッション『ネットで「新聞記事」は読まれない』のテーマは、私もこの一年考え続けた「ニュースサイトは、どうすれば社会的に意義のある記事を読んでもらえるのか?」でした。

Yahooトピックスの編集部門では、日々、新聞社や通信社、雑誌社など100以上のニュース配信元企業から数千本の記事を受信、ここからバリューのあるニュースを選別したうえで、ニュース毎に関連記事と関連サイトからなる「ニューストピック」にパッケージ化したうえで、Yahooトピックスに掲載しています。奥村氏によると、Yahooトピックスに対する総アクセスのうち (約43億8000万PV/月、約5000万UU/月)、約6割は「事件事故記事」「スポーツ記事」「エンタメ記事」へのアクセスが占め、社会的に意義のある記事、具体的には次のような記事についてはそこまで見られていないのが現状のようです。

  • 公益性のある記事
  • スクープ・特ダネ記事
  • 調査報道記事

会場のニュースサイト関係者にも同様の問題意識を持たれている方が(恐らく多数)いらっしゃいました。現時点ではどのニュースサイトも根本的な問題解決には至っておらず、ニュースサイトによっては、「社会的に意義のある記事だけではビジネスが成り立たない」ため、例えばエンタメ記事を掲載するなど、PVを稼ぐ(ビジネスを成立させる)ための様々な「苦肉の策」を講じているようです。食っていくためには仕方のないことなのかもしれませんが、やはり今一番注力すべきは根本的な問題解決にあると、私は思います。

ニュースサイトが「社会的に意義のある記事を読んでもらえない」原因には様々なものがあり、当然サイトによってもその原因は異なるとは思いますが、私は今のところ、これら全ては「内容の問題」「手段の問題」そして「企業の問題」の3つに分類できると考えています。

  1. 内容の問題
    例:「読みたいと思わせることができていない(コンテキストが不十分)」
  2. 手段の問題
    例:「ユーザの情報消費手段と記事配信手段がミスマッチ」
  3. 企業の問題
    例:「企業(業界)が信用されていない」

そして「これらの問題を一つ一つ解決していくしか、社会的に意義のある記事を読んでもらうことはできない」というのが私の見解です。ちなみに、ハフィントンポスト(Huffington Post)、プロパブリカ(ProPublica)、そしてCNNの取り組みは、ニュースサイトが上記問題を解決していくうえで非常に参考になるのでは、と、しつこく考えています。


なお、本セッションの詳細については、スイッチオンプロジェクトのブログに解説されています。ご興味のある方は是非。


検察の不祥事よりも、水嶋ヒロが読まれるんです。

2010年12月14日火曜日

ウェブでニュースを深堀する #jef2010

「ニュースの裏に潜んでいる事実・真実をウェブでどこまで深堀できるか?」
「ウェブ上の取材だけで記事化されたものは"あり"か?」


先日開催された『ジャーナリストエデュケーションフォーラム2010』のワークショップセッション『ウェブでどこまでできるのか-この瞬間のニュースを深堀し、展開するためのスキルとテクニック』で、アカデミック・リソース・ガイド岡本真氏が問いかけられたこれら2つのテーマは、いずれも非常に興味深いものでした。

マスメディアが配信する記事は様々な読者を想定して書かれているため、事実だけが端的にまとめられた、ある意味表層的な記事が多く、「そこには書かれていないけれども重要なこと(ニュースの裏に潜んでいる事実・真実)」が見過ごされているケースが多々あります。また、記事に書かれている内容が事実と異なっていることや、記事の作成者による「偏向」があることもしばしばあります。

記事の読者としては、普段目にする記事のこうした特徴を踏まえたうえで、うまく付き合っていく必要があります。そしてここで重要になってくるのが「ニュースの裏に潜んでいる事実・真実を深堀する」ことです。

岡本氏は「今やほとんどの事をウェブで調べる事ができる」「ウェブを巧く利用することで、ニュースの裏を読むための情報を引き出せる」と前置きされたうえで、一本の記事からニュースをさらに深堀するためのテクニックに言及されました。

具体的には「類似の事象を扱った過去の記事を検索し、読み比べ、ニュースのパターンや記事の論調の違いから、記事にない情報を推測する」という方法です。新聞記事の読み比べを実践されている方は多いと思いますが、報道に携われている方は別として「類似の事象を扱った過去の記事」との読み比べを実践されている方は少ないのではないでしょうか。

本セミナーの当日(12月4日)は東北新幹線の全線が開業された日だったのですが、Yahooトピックスに「東北新幹線 一時運転見合わせ」との記事が掲載されました。ここで、記事には運転を見合わせた理由は「強風の影響」とされていましたが、類似の事象を扱った過去の記事をウェブで調べ、新幹線が開業された日には機械トラブルが頻発していることがわかれば、別の視点からニュースの裏側を推測することもできます(例えば「強風の影響はあったかもしれないけど、本当の原因は機械トラブルではないか?」)。

全ての記事についてこうした見方をするのは難しいかもしれませんが、重大なニュースや影響の大きなニュースについては、少々時間を掛けてでも実践してみた方が良いかもしれません。

折角なので、会場から提案のあった「ウェブを使ってニュースを深堀する方法」も併せてご紹介しておきます。

  • 複数のメディアで同じニュースを扱った記事を読む
  • SNSやツイッターでニュースに対する口コミを調べる
  • 関連する企業や機関の公式サイトを調べる
  • (Yahooトピックスの記事であれば)各記事の下段にある関連サイトを調べる

さて、本ワークショップセッションのもう一つのテーマ「ウェブ上の取材だけで記事化されたものは"あり"か?」も非常に強力な内容だったのですが、こちらは別の機会にまとめてみたいと思います。ちなみにこのテーマの背景にあるのは「取材現場へのソーシャルメディアの浸透」です。岡崎図書館事件(通称librahack/リブラハック事件)で、朝日新聞社の記者がこの事件の真相を究明する過程でツイッターを活用されていたのはご存知でしょうか。こうした試みは今後益々増えていくと考えられます。


日本でも最近になってようやくメディア・リテラシ教育の必要性がある程度認知されるようになってきてはいますが、実際にはあまり浸透している様子はなく、メディア・リテラシを向上させるための方法論もほとんど聞いたことがありません。こうしたなか、今回岡本氏よりご紹介いただいた「ウェブでニュースを深堀する」ためのスキルやテクニックは、メディア・リテラシを向上させるうえでも非常に有用ではないかと考えました。今後自分でも実践し、有る程度その有用性を実感できれば、メディア・リテラシ向上のための社内勉強会やワークショップに発展させてみようかと目論んでいます。

2010年12月12日日曜日

ツイート記事アーカイブ(2010年11月)

先月から仕事が忙しくなってしまい、あまり多くの記事を読むことはできませんでした。質を担保するにはある程度の量をこなす必要があると考えているため、少々不本意な状況にはあるのですが、できるだけ良い記事をピックアップしてみたいと思います。

まずはメディアに関する記事から。

さとなお氏による記事「100万人にではなく100人に伝える」は、メディア業界に従事しているものとしては是非読んでおきたいところです。ここに書かれている内容は常に心に留めておきたい。


続いてTechCrunch Japanに掲載された記事からメディア関連のものを4本、ご紹介しておきます。


先月前半は尖閣ビデオ関連の記事が、後半はウィキリークス関連の記事が、それぞれ多く目に付きました。ネット発の一次情報は今となってはもうさほど珍しいものではありませんが、ネット発の一次情報がこれほどまでに「マスメディアが発信する情報」に大きな影響を与えたことはこれまでに無かったのではないでしょうか。先月はネットに対するマスメディアの関わり方が変わる大きな転換点になったのかもしれません。ウィキリークスについては今もまだメディアを賑わせていますが、尖閣ビデオについては少し落ち着いてきたこともあり、非常に興味深い論考記事がいくつか出てきています。


尖閣ビデオは日本だけでなく中国でも話題となったようですが、中国においてもソーシャルメディアは確実に浸透してきており、中国国内のメディアを取り巻く状況を大きく変えようとしています。


ウィキリークスについては、今回のアメリカ外交公電漏えい事件が起こる少し前に、ニューズウィーク日本版に掲載された記事がなかなか興味深いものでした。ウィキリークスには良い面だけでなく、悪い面があることも理解しておきたいところです。


ウィキリークスは現在もサイバー攻撃を受けているようですが、これに関連し、朝日新聞グローブに掲載された「サイバー戦争を報道するための手法」に関する記事はなかなか興味深い内容となっています。報道メディアの現場にはテクノロジーに度長けたが人材が今後益々必要になりそうです。


そのほか、気になるメディア業界の動きとしては、メディア王ルパート・マードック氏が率いるNews Corpが米アップルと共同で始める「iPad新聞」。これが成功するかどうかはともかく、今後もこうした動きは世界中で活発化してくることが予想されます。


関連した論考記事。


最後に、メディア以外の話題で気になった記事を何本かご紹介しておきます。


おまけ。世界で頑張る日本人に関する記事を2本。殺伐とした記事が多い中、こうした記事は良いですね。


嬉しくなります。

2010年12月8日水曜日

ジャーナリストエデュケーションフォーラム2010 #jef2010

先日、ガ島通信藤代氏が中心となって運営されているスイッチオンプロジェクト主催によるセミナー『ジャーナリストエデュケーションフォーラム2010~これからの「伝える」の話をしよう~』に参加してきました。開催場所は東海大学の湘南キャンパス。


本セミナーは「全体セッション」「ワークショップセッション」そして「グループディスカッション(学びの共有)」の3部で構成されており、私が受講したのは以下のセッションとなります(詳細については上記ブログ記事をご参照ください)。

  1. 全体セッション
  2. ワークショップセッション1 / ウェブでどこまでできるのか - この瞬間のニュースを深堀し、展開するためのスキルとテクニック
  3. ワークショップセッション2 / ネットで『新聞記事』は読まれない
  4. ワークショップセッション3 / ジャーナリストのためのソーシャルメディア講座
  5. グループディスカッション(学びの共有)

全体セッションでは、スイッチオンプロジェクトが今年の夏に学生向けに開催したイベント『記者体験プログラム』を振り返りながら、『メディアスクラム、誤報、取材拒否… 大学生による記者体験プログラムで何が起きたか、何を学んだか』について、パネルディスカッションが実施されました。取材する側と取材される側、双方の目線や思惑に行き違いがあることが浮かびあがります。私は記者体験プログラムには参加していなかったため、話されている内容が若干分かりにくかったのですが、それでも、主観的に思惑先行で行われる取材、一度大きな流れが出来るとそれに抗えなくなる現場記者、編集デスクと現場記者間のコミュニケーション問題など、様々な要因があるのだと感じることはできました。

全体セッション後のワークショップセッションで、私は全部で8つあるセッションのうち上記3つを受講しました。いずれもディスカッションに力点が置かれていたこともあり、会場からも活発に意見が出ていました。参加者が現場の記者・編集者や学生、研究者の方々など、多岐にわたり、多様な意見を聞くことができました。私自身非常に得るものが多かったので、ワークショップセッションについては後日個別に記事を書いてみたいと思います。

セミナーの最後に実施されたグループディスカッションでは、学生、テレビ番組の制作に携わられている方、そしてポータルサイトを運営されている方と、それぞれが受講したワークショップセッションについて意見交換させていただきました。同じセッションでも、人によって視点が全く異なるため、とても勉強になりました。こうした時間は本当に有益ですね。なので、今回のグループディスカッションは20分程度だったのですが、もう少し長くても良いのでは、と感じました。

ジャーナリストエデュケーションフォーラムについて、他の参加者の方々もブログ記事を書かれています。


当日の様子(ツイート)がTogetterにまとめられています。


ツイッターでもツイートしたのですが、フリーのジャーナリスト、企業に所属しているジャーナリスト、ジャーナリストを目指している学生、ジャーナリズムを支えている人、そしてジャーナリズムに興味がある人など、様々な立場の方たちによる多様な意見や考えはとても新鮮でした。「これからのジャーナリズムについて」のようなシリアスな問題を一人で考えていると、とかく内に閉じこもりやすくなりますが、このような場で色々な人たちと意見を交わすことで、頭をリフレッシュすることができます。また、新たな知見が増える事で、見えてくるものもや得られるものも多いのではないでしょうか。

運営者のみなさま、この度は貴重な場をご提供いただきありがとうございました。

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[2010-12-16]

各ワークショップセッションに関する記事へのリンクを追加しました。

2010年12月7日火曜日

図式の使いどころ

前回の記事で、「コミュニケーションを円滑にするために利用する図式には、ER図やユースケース図、クラス図など目的とフォーマットが決まった図式と、マインドマップやポンチ絵といったフリーフォーマットに近い図式がある」としました。ここではそれぞれの図式の使いどころについて少し補足しておきます。なお、表記を簡略化するため、以下、目的・フォーマットが明確な図式を「定形図式」、フリーフォーマットに近い図式を「非定形図式」とします。

少し大仰な前置きとなってしまいましたが、基本的なスタンスとしては「非定型図式は誤解を与えることが多い。定型図式が使えるときは定型図式を使い、定型図式が使えない場合に限って(仕方なく、かつ慎重に)非定型図式を使う」ということで良いと思います。

非定形図式はフォーマットが決まっておらず、描く人によって表記ルール(例えば線の種類、矢印の向き、文字の囲みの形に与える意味)が異なるため、これを読み解くためには「表記ルールを理解」したうえで「描かれている内容を理解」する必要があります(2つのステップを踏む必要がある)。一方、定型図式では表記ルールが決まっているため、描かれている内容の理解にのみ集中できます。違いはたった1つのステップの有無ですが、コミュニケーション・ロスの発生ポイントを減らせると考えれば、たった1つのステップでも省けるのは実に嬉しいことなのです。

以上を踏まえ、私が普段から心掛けているのは、「定型図式の適用範囲を広げる」ことです。具体的には次のようなことを実践しています。

  1. 定型図式の表記ルールの習得
  2. 定型図式の描画ツールの習熟
  3. 自分が習得した定型図式の普及

ここで結構重要なポイントが3番目の「自分が習得した定型図式の普及」です。どんなに頑張って図式を描いても、それを理解できるのは自分だけ、という状況ではまったく意味がないですからね。有用な定型図式については周りにどんどん広めて行きましょう。

と、このように普段から定型図式の適用範囲を広げておいても、やはりどうしても非定形図式で表現せざるを得ない場面はあります。例えば以下のような場面です。

  • 自分が習得している定型図式では表現できない
  • 自分が使いたい定型図式の表記ルールを、読み手が知らない(かもしれない)

このようなときには、十分に注意して慎重に非定型図式を描くしかありません。しかし上述した通り、これはなかなか難しい。非定形図式を描くための系統的な知識があまり普及していないこともその一因だと思います。少し遠回りになってしまいましたが、第6回mixbeatワークショップはここを出発点にしても良かったのではないかと考えました。

ちなみに、非定形図式を描くポイントはいくつかありますが、前回もご紹介したウルシステムズの林氏による「ポンチ絵の描き方」は非常に参考になります。


最後にちょっと余談。システム開発の歴史は、コミュニケーション・ロスとの戦いの歴史と言っても過言ではないくらい、多くの人がコミュニケーション・ロスを減らすことに心血を注いできました。そしてその歴史の中で、非常に有用な定型図式がいくつも開発されてきました。私はこうした定型図式のうちのいくつかは、一般的にもかなり有用だと考えています。私が技術者以外の方にもお勧めしている定型図式は、UMLユースケース図、UMLシーケンス図、そしてUMLクラス図の3つです。これらは技術者以外の方も習得しておいて損は無いと思います。特にUMLクラス図は素晴らしく、これ(とオブジェクト指向)に習熟するとほぼどのような「もの」でも表現できるようになり、さらには複雑な物事の整理や分析にも役立てられるようになると思います。

2010年12月6日月曜日

図式を利用して伝え手の意図を表現する

第6回mixbeatワークショップのテーマは「文章を読んで、理解した内容を図式で表現する」でした。図式にはER図やユースケース図、クラス図など目的とフォーマットが決まった図式と、マインドマップやポンチ絵といったフリーフォーマットに近い図式が考えられますが、ここでは「フリーフォーマットに近い図式」が対象となりました。このテーマに至った直接的な経緯について、ワークショップ中は断片的な情報しか得られなかったのですが、整理すると恐らく次のようになります。

  • 自分が見聞きしたことを第三者に伝えるとき、図式を活用することでより円滑に伝える事ができる(コミュニケーションを円滑にするために、図式は使える)
  • しかし、図式を上手く活用するのは難しい(理解し易く誤解を与えない図式を描くのは難しい)
  • 図式を作成するときに気を付けているポイントを、ワークショップで評価・共有してみてはどうか?

私は「情報システム部門のシステムエンジニア」という仕事柄、他部署や取引先とのコミュニケーションを円滑化するために、日常的に図式を活用しています。同時に図式を利用したコミュニケーションの難しさも常々感じていたため、テーマとしては非常に興味深いものでした。他の人は図式を作成するときにどのような工夫をしているのか…

ワークショップの流れは概ね以下の通りで、当日はこれを3セット実施しました。

  1. 各自課題文章を読む
  2. 各自読んだ課題文章の内容を図式で表現する
  3. 各自作成した図式を参加者全員で共有する

運営サイドとしてはこの後さらに「4. 図式を作成するときに気を付けているポイント(ティップス)を共有する」まで行きたかったようなのですが、今回はそこまで辿りつくことはできませんでした。

ここからは当日の様子を少しご紹介します。

冒頭はワークショップの説明。図式を使うことで理解できていないことや間違って理解していることに気付きやすくなる、というのは確かにありますね。



図式の活用シーン。読んだ文章の内容を図式に変換して文章の作成者に「こういうことで良いですか?」と確認。よくあります。



図式を描く際のポイントとして、「要素を取り出す」「関係性を整理する」の2点が挙げられました。ER図やクラス図を想起させます。



運営サイドによる説明が終了。そしていざ実践!

とはならず。

先ほど「このテーマに至った直接的な経緯について、ワークショップ中は断片的な情報しか得られなかった」としましたが、この段階で「このテーマに至った経緯(ワークショップの意義)」や「今回のワークショップでやろうとしていることの全体像」「図式を利用するタイミング」についてあまり説明がなされなかったためか、ここで質疑が紛糾。



それでもとりあえずやってみることに。



みんなが作成した図式が一斉に張り出されます。結構面白い。ですが、図式を共有しただけで終了となってしまい、ここから何を得られるのかは判然としませんでした。



2セット実施後、お昼休みへ。昼食を食べたあと午前中の内容についてみんなでディスカッション、午後もとりあえずやってみようということになりました。しかし、午前中同様、多様性を感じることはできたのですが、ここから何が得られるのか分かりませんでした。

ワークショップの良さの一つに、自分の中で閉じていた知識を他者と比較できる、あるいは自分の中で閉じていた知識を他者に評価してもらえる点があると思います。そして今回のワークショップでは残念ながらここに至れなかったのではないかと感じています。ワークショップの設計も甘口でした。ただ、こうした「失敗経験」は絶対に次につながるはずです。

塾長のブログに、今回のワークショップに関する記事がアップされています。


今回のワークショップは1年あるmixbeat在塾期間のちょうど折り返し地点。mixbeatは本当に勉強になります。

2010年12月3日金曜日

報道メディアとデータジャーナリズム

今からちょうど1年前にブログ『RealTimeWeb』で紹介されていた「データジャーナリズム」ですが、一連のウィキリークス報道をきっかけに注目するようになりました。きっかけとなったのは小林恭子氏のブログ記事です。


以下は佐々木俊尚氏のメルマガ(vol.118『マスメディアとインターネットはどう補完しあえるのか?(後編』)からの抜粋、データジャーナリズムについて。

データジャーナリズムは、政府などが持っている膨大な量の統計資料などのデータを分析し、それらをわかりやすく可視化していくというジャーナリズムです。これは調査報道手法から、デザインやプログラミングまでをも含む非常に広い分野の手法を統合させて、そこにひとつの重要な物語を紡いでいくというアプローチです。

(中略)

データジャーナリズムにおいても、やるべきことは普通のジャーナリズムと変わりありません。何かのできごとを取材し、そこからどのような物語を拾い上げるのかがジャーナリズムの仕事だとすれば、データジャーナリズムも同様に「データを調べて、そこから何らかの物語を抽出する」という行為を行っていくということです。

英紙ガーディアンは既にこのデータジャーナリズムを実践しているようです。その取り組みは、今年8月に米ブログ『Nieman Journalism Lab』に掲載された記事『How The Guardian is pioneering data journalism with free tool / フリーのツールを活用したデータジャーナリズムの先を行くガーディアン』に紹介されています。


ガーディアンは以前からデータジャーナリズムに力を入れており、その集大成は同紙のサイトにある『DATA BLOG』及び『DATA STORE』に結集されています。


同紙は、公開前に情報を得ていたこともありますが、一連のウィキリークス報道でも、賛否はともかく、そのデータジャーナリズムのノウハウを駆使し、多くの記事を発信しています。


一方、日本の場合ですが、国内の報道メディアで取り上げられるウィキリークス関連のニュースはその殆どが外電であることから、独自にデータを分析している(できている)ところは少ないのかもしれません。菅原琢氏(@sugawarataku)の著書『世論の曲解』や田村秀氏の著書『データの罠』でも指摘されていますが、データジャーナリズムは日本の報道ディアにとっては比較的弱い領域のようです(両書ともお勧めです)。

影響力のある報道メディアがデータの取り扱いを誤ると、大きな誤解や誤った分析結果を拡散してしまう恐れがります。様々な重要なデータがネットを中心に一般公開されるようになってきていることもあり、報道メディアにおける質の高いデータジャーナリズムに対する必要性は、これから益々高まるのではないでしょうか。

メディアにコントロールされない

先日、ベトナム戦争を題材にしたノンフィクション映画『ウィンター・ソルジャー』と『ハーツ・アンド・マインズ』を鑑賞してきました。場所は恵比寿の東京都写真美術館。あまりにも衝撃が強く、正直なところ、両作品とも自分の中で完全には消化し切れていないのですが、少なくとも、ベトナム戦争の悲惨さを体で感じることはできました。


「東洋人の命の価値は、西洋人のそれよりも軽い。だから殺しても構わない」と言い放つアメリカの仕官。東洋人は「劣った人種」だと刷り込まれ、ゲーム感覚で兵器を操り、兵士・捕虜・民間人、誰彼構わず目の前に居るベトナム人の殺戮を厭わなくなるアメリカ兵。そのアメリカ兵も、戦争によって体も心もズタズタにされ、帰国するころには何のために戦っていたのかわからなくなくなっていた。そして「自由を勝ち取るため」に助けを求めたアメリカに破壊されるベトナム。戦争は人を狂わせ、憎しみを無限増殖させる。戦争だけはやってはいけない…

これが、両作品を通して私が感じた、ベトナム戦争の悲惨さです。

私は映画を観ながら、何故アメリカはこのような、アメリカ市民自身が後悔するような戦争を始めることができてしまったのか、その理由について考えていました。何故戦争へ突き進む政府や軍部を、市民はとめることができなかったのか。

ベトナム戦争以来アメリカの対外政策を批判し続けてきたMITの著名な言語学者ノーム・チョムスキー氏は著書『メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会』の中で次のように指摘されています。

場合によっては、歴史を完全に捏造することも必要になる。

それが病的な拒否反応を克服する一つの方法でもある。誰かを攻撃し、殺戮しているとき、これは本当のところ自己防衛なのだ、相手は強力な侵略者であり、人間ならぬ怪物なのだと思わせるのだ。

ヴェトナム戦争が始まって以降、当時の歴史を再構築するために払われた努力はたいへんなものだった。あまりにも多くの人が、本当の事情に気づきはじめていたのだ。多数の軍人だけでなく、事実に気づいて平和運動などに参加した若者もたくさんいた。これはいかにもまずい。そうした危険な考えを改めさせ、正気を取り戻させなければならなかった。

すなわち、われわれのすることはみな高貴で正しいことだと認識させるのだ。われわれが南ヴェトナムを防衛しているからにほかならない。いったい誰から?もちろん、南ヴェトナム人からだ。ほかの誰がそこにいただろう。ケネディ政権はいみじくも、これを南ヴェトナム「内部の侵略者」にたいする防衛と称したものだ。

この言い方は民主党の元大統領でケネディ政権の国連大使を務めたアドレイ・スティーヴンソンなども使っている。これを公式の見解とし、国民にしっかりと理解させなければならなかった。その結果は申し分なかった。メディアと教育制度を完全に掌握していさえすれば、あとは学者がおとなしくしているかぎり、どんな説でも世間に流布させることができるのだ。

翻って日本。半村一利氏の著書『昭和史』には、無謀な戦争へ突き進む軍部を、新聞が後押しし、日本全体が太平洋戦争へと雪崩れ込んでいく様子が描かれています。

戦争は一度始めてしまうと後戻りができなくなる。
決して始めてはいけない。
しかし、メディアは、私たちを戦争へと誘うことがある。
戦争の啓蒙を、メディアがすることがある。
私たち一人ひとりが、メディアの嘘を見抜けるようになる必要があるのではないか。

うまくまとめることができないのですが、私がメディア・リテラシを大切に思う理由が、ここにあります。私たち市民一人ひとりが考える力をつけ、メディアの情報を鵜呑みにしなくなること、メディアにコントロールされないような「情報耐性」を身に付けること、これはとても大切なことなのではないでしょうか。