2010年4月11日日曜日

「無関心という罪」

最近めっきり使わなくなってしまったミクシィアカウントを整理しようと久しぶりにログイン。と、ここで3年前に自分が投稿した日記に目が留まりました。
[投稿先] ミクシィ
[投稿日] 2007年03月06日

# 無関心という罪

こうした話題は正直どう触れたら良いのか全くわからない。

週末に吉見義明氏が著した「従軍慰安婦」という本を読んだ。

僕にとっては衝撃的な内容だった。
とても理論的に展開されており、参考文献にも信憑性がある。
気になってWikipediaも調べてみた。
その他特に調べたわけではないけれど、この本を読む限り、
「従軍慰安婦は日本国家が組織的に行っていた」事は明白で、
全く疑う余地がない。

何が真実で、何が嘘なのか。
何が明らかで、何が隠されているのか。

今日、首相は国会答弁で、従軍慰安婦について、
よく意味の分からない発言をしていた。
「よく意味の分からない発言」だと気付く事ができた。

これまで日本はアジアの国々に対して
謝罪とその撤回を何度も繰り返してきた。
真実は?

やはり知る事は大事だ。
そして自分で考える力。

自分の無知が恥ずかしい。
まずは知る事から始めよう。
これは今の自分の原動力となっている思考です。3年前の自分に活を入れられ、久しぶりに初心に返った気がしました。原点回帰、今日からまた頑張れそうです。

2010年4月8日木曜日

報道の使命

報道、あるいはジャーナリズムは何のために存在するのか?私は究極的には「人を動かすこと」だと考えます。「人を動かす」とは、人の心を動かし、行動に結び付ける、ということです。例えば…
  • 面白いと思い、誰かに伝える
  • 今直ぐ何かできる事は無いかと思い、寄付をする
  • 苦しんでいる人を助けたいと思い、ボランティアに参加する
  • 世の中の役に立ちたいと思い、資格取得の勉強を始める
  • 世の中を変えたいと思い、社会起業を目指す
  • 問題を認識し、議論する
  • 感動し、明日の活力とする
報道は人の心に働きかけ、「自分にも何かが出来る」と思わせる必要がある、これが私の考えです。

果たして今の報道は人を動かしているでしょうか?単に垂れ流すだけの報道に終始してはいないでしょうか?全ては他人事だと思わせるような内容を報道してはいないでしょうか?

全ての報道が悪いとは言いません。しかし私は、今の多くの日本人の無関心、そして多くの日本人が持つ閉塞感を作り出したその過程において、「人を動かすことができなかった」報道がその片棒を担いできたのではないかと考えます。

報道により誰もが「何かに貢献できる事」あるいは「何かを目指せる事」「何かを変える事」「何かを解決できる事」に気付き、そして行動を起こす。これが私の理想とする報道です。そして今、テクノロジーの進化と、ソーシャルメディアを通した人の結び付きによって、この理想を実現するための環境は整いつつあると感じています。

しかし、単に報道プロセスや報道内容をイノベートするだけでは足りません。受け手の「報道されたことに対する見方」や「複数の報道された事実あるいは報道されていない事実から真実を見抜く力」といったメディアリテラシの育成にも同時に取り組まなければならないと考えます。

心が動かされる報道が増えれば、人々は報道に対してもっと価値を見出すようになるはずです。そしてその結果、日本は良い方向に変わる。報道はそれだけのポテンシャルを秘めていると、私は考えます。

2010年4月7日水曜日

キュレーターの条件

佐々木俊尚氏(@sasakitoshinao)が4月4日にTweetされていたキュレーションに関する英文記事からキュレーションの肝、すなわちキュレーターにとって大切なことが見えてきます。私が捉えた「キュレーションの肝」は次の通りです。
自分にとって魅力的なコンテンツを提供してくれる可能性のある人を押さえつつ、常に自分の好奇心の範囲を広げること。
すなわち良いキュレーターになるためには、「良い情報の出し手(≒ブロガーやTwitterアカウント)を知っていること」そして「好奇心を持ち続けること」が必須条件と言えそうです。

以下に和訳全文を掲載しておきます。相変わらずの超訳で恐縮ですが、誤訳を発見されましたら、是非ご指摘下さい。皆様のキュレーション理解の一助となれば幸いです。

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[元記事] ‘Controlled Serendipity’ Liberates the Web

# コントロールされたセレンディピティはWebを開放する

<セレンディピティ:別のものを探しているときに、偶然に素晴らしい幸運に巡り合ったり、素晴らしいものを発見したりすることのできる、その人の持つ才能。>

私はブログ記事を書き終わった後、<ブログ記事の更新を通知するために>Tweetする。

ブログ記事のURLをコピーし、数分で書き上げたブログ記事の要約文と共にTweetする。続いてFacebookで同様の作業をする。

次いでWebで記事を探し回り、友達やフォロワーと面白い記事をシェアする…これが私の日常だ。私は毎日多くの時間を、テクノロジーや一般ニュース、ジャーナリズム、デザイン、最新のアニメ動画といった私の興味に沿った記事の探索に費やしている。

我々の多くは同じような事をやっている。我々はもはやコンテンツの消費者ではなく、コンテンツのキュレーターとなった。

もし誰かが5年前に、私が近い将来コンテンツを無料でフィルタリングし、収集し、そして共有するようになる、と言って来たら私は当惑しただろう。しかし今ではフィルタリングもせず、収集もせず、そして共有もしない生活など想像できない。

より重要なのは、私はもはや他の人からの助け<推奨記事へのリンクの提示>無しに記事や情報を得ることなど考えられない、という事だ。

例えばシリコンバレーのベンチャー企業でエンジニア・マネージャーを勤めている Atul Arora は毎日2~3時間をテクノロジー関連のブログ記事や一般記事の探索に費やしている。毎日 Arora は15個程度のテクノロジーに関連する最新記事をTweetしている。以前私は彼に対して何故そのようなことをやっているのか聞いた事がある。そのときの彼の答えがこれだ。「以前は同じ時間を新聞や雑誌、本を読むことに費やしていた。今はその代わりにオンラインニュースを読み、そして共有している<これまでは読むことだけに費やしていた時間を、読むことと共有することに費やしている>。」

もう一人の事例は Maria Popova だ。彼女はキュレーションを「コントロールされたセレンディピティ」と呼ぶ。彼女は数千の人に対して、彼女の好奇心を満たす情報のフィルタリング結果を提供している。

Popova は毎日細心の注意を払って、自分でキュレートしたWebサイトあるいはTwitterでフォローしている人達のTweetから最高に面白い情報を探し出す。「私は全てをくまなく探す。だからセレンディピティなのだ。バックボーンをキュレートする、これが本質的な'メタ・キュレーション'だと考える<自分が情報を取得するためのWebサイトやTwitterアカウントを編成しておくことがキュレーションのキュレーション、すなわちメタ・キュレーション>。そしてその一方で自由に自分の興味の触手を伸ばす。これが最高のやり方だと自負している。<すなわち、メタ・キュレーションを構築しつつ、常にあらゆる事に好奇心を向けるのが肝>

人々が興味のある動画や記事を見つけた際、誰かと共有することは条件反射的な行動となっている。素晴らしいコンテンツが口コミで広がっていくことは、さほど新しいことではない。しかし考え方を共有することはもはや限定的な事ではなくなった。規模の大小の差はあれど、我々はオンライン上で摂取する全ての情報を共有する。

Betaworks、そしてURL短縮サービス Bit.ly のCEOである John Borthwick は次のように言う「毎月多くの人々がソーシャルメディア、あるいはメールからURL短縮サービスを利用している。先週は一週間で599,100,000回利用された。これは2008年にサービスを開始して以来の最高記録だ。」

多くのコンテンツが生み出される中、Webサーフィンはより大変になってきた。そして我々は新しいコンテンツやサービスを見つけたときに自問自答する。「私はこのリンクをクリックして地震に関する最新のニュースを読むべきか?」「毎日どのくらいのブログをチェックすべきか?」「何か見逃したものはないか?」「全てのコメントも読むか?」「いつ、どのソーシャルメディアを更新すれば良いのか?」

しかし我々はこうした問題に対し、アグリゲーションを通して答えを見出しつつある。我々は「コントロールされたセレンディピティ」を共有することで、重要なものを見過ごす可能性を小さくしてきた。そしてこうした社会的な仕組み無しに、日々世界中で生み出される膨大なコンテンツに相対することなど、想像することはできない。

我々は今や皆が人間アグリゲーターと言える。
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