2010年11月5日金曜日

腐らない文章

内田樹氏が著書『街場のアメリカ論』のあとがきで「腐らない文章」という概念に言及されています。

文章においては「しばらくすると腐る」ところと「なかなか腐らない」ところがある。「風穴」があいていると文章はなかなか腐らない。

<中略>

きちんとパッケージされていて、理路整然、博引旁証(はくいんぼうしょう)、間然するところのない文章であっても、「風穴」があいていないと経時的変化とともに、「酸欠」になって、腐り始める。

<中略>

「腐る」というのは言い換えると「経時的に汎用性がない」ということである。つまり、例えば、今から二十年前の読者や今から二十年後の読者というものを想定したときに、その人たちにもこちらの言いたいことが「伝わる」かどうかということである。その程度の広がりの中なら、十分に読解可能であるのは「腐らない文章」である。

「二十年前、あるいは二十年後の読者に伝わる」という視点はとても新鮮でした。一方で「腐る文章」については次のように言及されています。

メディアがもてはやす「切れ味のよい文章」はたいていの場合、「同時代人の中でもとりわけ情報感度のよい読者」を照準している。二十年前や後のことなんかあまり考えない。ファッショナブルな月刊誌の場合などはしばしば先月号の読者を「時代遅れ」と冷笑して切り捨てることさえ厭わない。

でも、その気遣いの欠如(そのクールさが外形的には「かっこいい」のだ)が文章を腐りやすくする。同時代のさらに狭いサークルでの「内輪の語法(ジャルゴン)」が通じるような少数の読者にのみ限定するような文章が、時代も場所も状況も違う読者にとっても読解可能であるかどうか。考えてみれば誰にもわかる。

「切れ味のよい文章(腐る文章)」がもてはやされる背景には、「読者側からの要求」もあるようですね。

どうもファッショナブルで「メンバーズ・オンリー」的な排他性をたたえた文章を書きたがる人も読みたがる人も後を絶たない。たぶんそのような排他的なポーズが読者の欲望をそそるということをみんな知っているからだろう。

ネット上に溢れる文章情報について、個人的な印象としては「腐る文章」が溢れているように感じます。新旧メディアが乱立する中、多くのメディアは何とか多くの人の注意を引くために、あるいは日銭を稼ぐために「腐る文章」を量産してしまっているのではないでしょうか。これが悪いことだとは言えませんが、腐る文章を量産するようなメディアが長生きできるとも到底思えません。

このブログでは「文章で伝えること」について、これまでに何本か記事をポストしてきました。


並行して私自身色々と試してはいますが、なかなか「伝わる文章」を書けている実感が湧きません(恐らくこの文章自体も「伝わる文章」からは程遠いのですよね)。そもそも何を目指せば良いのかがわかりませんでした。しかし今、少し方向性が見えてきたような気がしています。

私はこのブログで「腐らない文章」、すなわち「十年後・二十年後の読者にも伝わる文章」を目指してみようと思います。そしていつかは「腐らない文章」(百歩譲って「腐りにくい文章」)が書けるようになりたいものですね。

あとがきについてのみの記事となってしまいましたが、『街場のアメリカ論』の本編も是非どうぞ。内田樹氏による「日本人に根付くアメリカ観」に関する考え方はとてもユニークで面白いですよ。



本当に勉強になります。

2010年11月4日木曜日

ジャーナリストのためのmTurk利用ガイド

アマゾンが展開している Amazon Mechanical Turk(mTurk)というサービスはご存知でしょうか?


コンピュータプログラムで処理するにはハードルが高い単純作業を、世界各地の登録作業者に分散して処理してもらうサービスです。「人力Hadoop」といったところでしょうか。もともとはアマゾンが「商品説明ページの重複を見つけるために」開発したようなのですが、2005年11月に一般向けに公開されました。mTurkは例えば大量の写真に対してタグ付けしてもらうような画像処理に向いているようです。まだ英語版しか無いのですが、日本でも既に利用されている方もいらっしゃいます。


結構評判は良さそうですね。ちなみにオープンソースでJAVA版APIも存在します。


今年オンラインメディアとして初めてピューリッツアー賞を受賞した米国の調査報道NPOプロパブリカ(ProPublica)は、このmTurkを活用し、調査(取材)に掛かるコストを圧縮しているようです。そして実際にプロパブリカで利用しているmTurkの「ジャーナリスト向け」利用ガイド(英語)が、Robin Good氏のブログMaster New Mediaで公開されました。


今後もメディア企業に対する記事作成コストの圧縮圧力は高まることが予想されます。そうした中、mTurkのような「取材活動に掛かるコストの低減を期待できるサービス」の利用は、検討する価値があるのではないかと考えました。機会があれば是非一度試してみたいですね。

2010年11月1日月曜日

ソーシャルメディア・リテラシ

先日、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)で開催されている『「ネットの力、みんなのチカラ」プロジェクト』に参加してきました。


私が受講したのは、ブログ『ガ島通信』を運営されているジャーナリスト・藤代裕之氏(@fujisiro)による講義『ソーシャルジャーナリズムの可能性。私たちに何ができるのか』です。



テクノロジーが進化し、ブログやツイッター、ユーチューブ、フリッカーなどのソーシャルメディアが普及したことで、ある程度のリテラシがあれば誰もが情報を発信できるようになりました。つまり、ジャーナリストの定義を「メディアに記事や素材を提供する人」とするのであれば、誰もが「ジャーナリスト」になれるわけです。本講義ではこうした現状を踏まえ、「ソーシャルメディアで情報を共有するとき、何を気をつければ良いか」について、ディスカッションが行われました。ユーストリーム中継もあったため、結構活発な議論になっていたと思います。

議論の冒頭ではまず「日本の従来マスメディアが報道目的でソーシャルメディアを巧く利用できていない現状」が紹介されました。日本のマスメディア企業、実は結構ソーシャルメディアを使っています。例えばブログ。産経新聞の『イザ』や神奈川新聞の『カナロコ』など実に38サイトあります。SNSも9サイトあります。最近では毎日新聞がツイッターと連動した新聞『毎日RT』を発刊したことも記憶に新しいと思います。また、アサヒコムは『はてなブックマーク』と連携するようになりました。しかし残念ながらどれも上手くいっておらず、インターネット上の情報流通において主流になれていない…

本来であればここを出発点に「日本のマスメディア企業がソーシャルメディアを巧く利用できない理由」について考えを深めた上で、「日本のマスメディア企業を反面教師とし、それでは我々はどのようにソーシャルメディアを利活用すれば良いのか(解決策)」について議論を進めるような流れだったのですが、時間切れとなってしまいそこまで深い議論はできませんでした。この日主に議論できたのは以下2点です。

  1. ソーシャルメディアで情報を収集するとき、情報の信頼性はどのように確保するか?
  2. ソーシャルメディアで情報を発信するとき、何を気をつければ良いか?

1番目の論点では、会場から「発信者のソーシャルグラフを確認する」「発信者が過去に発信した情報を確認する」「発信者の肩書きや経歴を確認する」「実名で情報を発信しているかどうかを確認する(実名であれば信頼度が増す)」などの方法が提示されました。ツイッターであれば「フォロワーの数」、ブログであれば「人気ランキング」も参考になる、との話もありました。藤代氏は「近い将来、信頼度が数値化されるのではないか」とも話されていました。みなさんはどのような方法で取得する情報の信頼性を確保されていますか?

2番目の論点では、藤代氏から「ソーシャルメディアで情報を発信している人の中には、従来マスメディア企業と同じ過ちを犯している人たちが居るのではないか?」との問題提起がありました。例えば「センセーショナルに情報を発信する」「実名を出さずに言いたいことだけ言う」などです。こちらについてはみなさん、いかがでしょうか?

ちなみに2番目の論点において、私がマスメディア企業にとって大切だと考えるのは「想像すること」です。より具体的には「デジタルディバイドを想像する(それを読めない人が居ることを想像する)」「情報流通経路(どのように情報が伝播していくか)を想像する」「情報の摂取方法(どのような方法で情報を取得しているか)を想像する」「読者の心や考え方に与える影響を想像する」などです。そしてこれらを想像するためには「情報を上から下に流す」という考え方を変える必要があると考えます。この辺はもう少し自分の考えを整理したうえで、あらためて書いてみることにします。

メディアリテラシについても改めて考えてみたいですね。


なお、本講義の模様はこちらから確認できます。


講演はあと3回あります。豪華な講師陣。時間があれば参戦したいところ。

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[2010-11-05]

少し前の朝日新聞グローブにメディアリテラシに関する特集が組まれていました。ご参考までに掲載しておきます。


ここでは「行動規範」について言及されていますね。これについても今後考えて行く必要があるものと考えます。