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2010年4月8日木曜日

報道の使命

報道、あるいはジャーナリズムは何のために存在するのか?私は究極的には「人を動かすこと」だと考えます。「人を動かす」とは、人の心を動かし、行動に結び付ける、ということです。例えば…
  • 面白いと思い、誰かに伝える
  • 今直ぐ何かできる事は無いかと思い、寄付をする
  • 苦しんでいる人を助けたいと思い、ボランティアに参加する
  • 世の中の役に立ちたいと思い、資格取得の勉強を始める
  • 世の中を変えたいと思い、社会起業を目指す
  • 問題を認識し、議論する
  • 感動し、明日の活力とする
報道は人の心に働きかけ、「自分にも何かが出来る」と思わせる必要がある、これが私の考えです。

果たして今の報道は人を動かしているでしょうか?単に垂れ流すだけの報道に終始してはいないでしょうか?全ては他人事だと思わせるような内容を報道してはいないでしょうか?

全ての報道が悪いとは言いません。しかし私は、今の多くの日本人の無関心、そして多くの日本人が持つ閉塞感を作り出したその過程において、「人を動かすことができなかった」報道がその片棒を担いできたのではないかと考えます。

報道により誰もが「何かに貢献できる事」あるいは「何かを目指せる事」「何かを変える事」「何かを解決できる事」に気付き、そして行動を起こす。これが私の理想とする報道です。そして今、テクノロジーの進化と、ソーシャルメディアを通した人の結び付きによって、この理想を実現するための環境は整いつつあると感じています。

しかし、単に報道プロセスや報道内容をイノベートするだけでは足りません。受け手の「報道されたことに対する見方」や「複数の報道された事実あるいは報道されていない事実から真実を見抜く力」といったメディアリテラシの育成にも同時に取り組まなければならないと考えます。

心が動かされる報道が増えれば、人々は報道に対してもっと価値を見出すようになるはずです。そしてその結果、日本は良い方向に変わる。報道はそれだけのポテンシャルを秘めていると、私は考えます。