2011年4月20日水曜日

被災者に寄り添い続けるために、報道メディアができること

東日本大震災の「非」被災者ができることについて、先日参加したセミナー『私たちに今、できること~岩手県陸前高田市からの報告~【NPO3団体合同報告会4/18】』で、NPO法人テラ・ルネッサンスの鬼丸氏は次のように仰っていました。

非被災者は被災者(当事者)には決して成り得えません。
無理して当事者になろうとせず、非被災者にしかできないことをやりましょう。
そしてそれは、被災者に寄り添い続けることです。

ここにある「寄り添う」には「募金する」「ボランティアに参加する」などの行動が含まれており、被災者にできることは「募金を続けること」あるいは「ボランティアに参加し続けること」ということになります。今だけでなく、これからも続けること。今回の震災は未曾有の被害を出しており、未だ復興段階に入っていない地域も多く、復旧・復興には十年単位の期間を要するとの試算も出ている中で、「寄り添い続ける」のは本当に大切なことだと、私も感じています。

しかし、今のままで続けられるでしょうか。

被災者に寄り添う行動を起こすには、そもそも何らかの問題意識が不可欠です。「家が流された方やご家族を無くされた方など、困難な状況におられる方がいる。自分にも何かできないだろうか」そうした問題意識が、行動の源泉となります。しかし、残念ながら多くの人は(もちろん私も含め)、よほど強い意志や使命感を持たれている人でない限り、この問題意識は、せっかく抱いたにも関わらず、時とともに薄れていきます。「時間が経過すれば、被災者・被災地のことが忘れされる」という危機感は、私が参加していた助けあいジャパン/ボランティア情報ステーションにもありました。実際、被災地から離れた地域には「東日本大震災は既に終わったこと」として扱われているところもある、と聞いています。震災からの復旧・復興には様々な活動があるはずで、たとえ今は何もやれない人でも、近い将来何かしら「出来る事」が必ず出てくるはずです。しかし、そうした「出来る事」が出てきたときに問題意識が薄れていては、結局何もやれません。人は忘れやすく、問題意識を持ち続けることは根源的に難しい。

私はここに(こそ)報道メディアにできることがあるのではないかと考えています。

問題意識を持ち続けるために必要なのは、「継続的に問題を認知した上で共感・関与する」こと。そして良質な報道メディアであれば、これを促進させることができるのではないかと、そう考えています。

しかし、残念ながら既存報道メディアの軸足は「認知(というよりも情報を上から下にドカン)」にあり、「共感・関与」への意識が低く、私たちが問題意識を持ち続けるためには力不足なのも事実です(これこそが報道メディアの「使命」だとは思うのですが)。

こうなれば、「問題の認知」だけでなく「問題への共感・関与」への道筋を開くような新たな報道メディアが、もうそろそろ出てくるしかない。