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2011年7月6日水曜日

魅力的なフォトグラファー

久しぶりに心が晴れやかになる、そんな本に巡り合えたのでご紹介します。


アジアを舞台にご活躍されている安田菜津紀さん、幸田大地さん、白潟禎さん、3人のフォトグラファーによる手記、編集者との対談、そしてご自身が撮影された写真で構成されている本書。私にはそれぞれのフォトグラファーが抱く熱い想いと、人間的な魅力が伝わってきました。

安田菜津紀さん / Yasuda Natsuki


高校生のときに訪れたカンボジア。そこでHIV感染者が隔離される「緑の村」に暮らす同世代に出会い、フォトグラファーの道に進む。日本ドキュメンタリー写真ユースコンテストで大賞受賞。(本書中にある紹介文の抜粋)


幸田大地さん / Koda Daichi


調理師をしていた20歳のとき、カメラを携えてパレスチナへ。帰国して、独学で写真を学ぶ。ユースコンテストでは、インドの不可触民「ダリット」をモノクロ写真で写し取り、優秀賞に。(本書中にある紹介文の抜粋)


白潟禎さん / Shirakata Tei


大学生のときカンボジアで地雷撤去するNGOを知る。その後、ボランティアのスタッフとして、タイ国境に近い地雷原を何度も取材。その写真が評価され、ユースコンテスト優秀賞を受賞。(本書中にある紹介文の抜粋)


3人ともしっかりとした問題意識を持ち、単にジャーナリストとして伝えるだけではなく、表現者であると同時に、問題解決にも取り組まれている、だからこそ一言一言に説得力を、私は感じたのだと思います。 こうした気骨のある表現者の方々を、これからも応援していきたいと思いました。

是非、ご一読を。

2011年7月5日火曜日

CNNに学ぶニュースサイトのレシピ

以前もこのブログで取り上げたことのある、米国ニュース専門テレビ局CNNのニュースサイトが、今や飛ぶ鳥を落とす勢いとなっているようです。


インターネットアクセスの調査会社Ccomscoreの調査によると、2011年1月~3月におけるCNNの全米からの一日平均利用者数は850万人を誇り、テレビ視聴率ではCNNの上を行くFox News Channelの230万人を遥かに超えています。さらにこの数字は、新聞業界最大手のニューヨークタイムズの560万人、そして米国4大ネットワーク(ABC/NBC/CBS/FOX)最大規模、NBCの740万人をも凌駕しています。

そしてここで疑問が湧きます。視聴率ではそこまで数字を取れていない(米国4大ネットワークの下位に甘んじている)にも関わらず、CNNは何故インターネット上のプレゼンスをここまで高められたのか。

ハーバード大学のNieman財団が運営するブログ『The Nieman Journalism Lab』にCNNニュースサイトの分析記事がポストされていました。非常に興味深い内容でしたので、以下、ポイントをまとめておきます。


CNNニュースサイトには、他のニュースサイトには見られない、次のような特徴があるようです。

  1. 読者の多くが直接アクセスしている
  2. リピーターが多い
  3. 読者からの反響が大きい

CNNニュースサイトの読者のうち、実に75%が直接アクセスによるもので、検索サイトやソーシャルプラットフォームなど、他サイトからの流入(間接アクセス)は25%に留まっているようです。また、他のニュースサイトに比べ、リピーターの数が多く、そのロイヤリティも高い(ひと月あたりの訪問回数が10以上、という読者層が最も厚いようです)、との記載もありました。

つまり読者の多くは、サイトで提供されている記事の閲覧だけを目的として訪れているわけではなく(サイトを単に「記事置き場」として見ているのではなく)、サイトで提供されているサービスを目的に訪れていることがわかります。

さて、こうしたCNNニュースサイトの特徴を支えているのが、「ピラティス戦略」と呼ばれる、読者の知的好奇心を刺激するための戦略のようです。この戦略の骨子は次のようなものです。

  • 単にニュースを提供するだけでは足りない
  • 知識の探求や、新たな行動、革新、実験に繋げなければならない

そして「ピラティス戦略」のもと、具体的には次のような施策を展開しているようです。なお、詳細については原文をご確認ください。

  • ブロガー・ブログメディアの充実
  • 市民ジャーナリストとの連携サービス(iReport)の展開
  • 動画コンテンツの拡充
  • モバイルアクセス機能の高度化
  • 通信社ニュースからの脱却

一つ一つを見ると実践しているニュースサイトはあるように思いますが、「読者の知的好奇心を刺激する」という目的のもと、これらをワンパッケージで展開しているようなところは他に無いのではないでしょうか。ちなみに私が衝撃を受けたのは「通信社ニュースからの脱却」。同じようなニュースがあっても仕方が無い、という理由から通信社のニュースは使っていないようです。

本記事では言及されていませんでしたが、他のニュースサイトがツイッターやフェイスブックなどソーシャルプラットフォームからの流入を呼び込もうと躍起になっているのをしり目に、CNNは以前からこつこつとIT投資を続けており、その成果が無ければこうした施策はそもそも展開できなかったと考えられます。確かな「戦略」と、それを支える「技術」、この二つが合わさって初めて、今のCNNニュースサイトがあるのだと思います。

本記事の最後には、次のような言及がありました。

近年、TVよりもiPhoneやiPadで情報を集める人が増えてきている。若い世代では特にその傾向が強い。このままTVの影響力が低下すれば、いずれFox News ChannelがTVで放送するニュースよりも、CNNがネットで配信するニュースの方が、影響力を持つようになるだろう。

テレビの視聴率がさほど意味をなさなくなる日も近いのかもしれません。

2011年7月4日月曜日

「不快なニュース」はネットで読まれない?

少し前に読んだ佐藤卓巳氏の著書『メディア社会』に、「ニュースの本質」に言及する一節がありました。

『メディア社会』P212


シュラムは「ニュースの本質」(1949年)において、人々がニュースに求める期待を「快楽原理による即時報酬」と「現実原理による遅延報酬」に二分している。犯罪・汚職・スポーツ・娯楽などの記事は「身代わりの経験」による衝動の昇華で読者に即自的な快楽をもたらすが、他方の政治・経済・文化関連記事はしばしば退屈であり一時的には不快感さえもたらす。

私はこれまで、「これは発表報道である」「これは調査報道である」など、ニュースの出し手から見た、ある意味一方的な、受け手のことをあまり考慮しない分類はよく目にする一方、こうしたニュースの受け手から見た分類はこれまであまり目にしたことがなかったため、私にとってこの分け方はとても新鮮でした。

ちなみにシュラム(Wilbur Schramm)は母国の米国では「コミュニケーション学の父」と呼ばれ、米国のコミュニケーション研究に多大な影響を及ぼした研究者のようです。


本書では「不快なニュース」についてさらに次のように述べられています。

だが、こうした不快なニュースこそが、人々を日常の現実に向き合わせ、遅延的つまり結果的に現実世界での成功を可能にする。マンガやスポーツ記事など即自的快楽ばかり望んでいた子供が成長とともに政治や経済記事に関心を示すように、遅延化とは社会進出のプロセスなのである。

ここまでの内容を要約すると、『私たちが新聞やテレビ、そしてネットなどを通して普段触れるニュースには、即時報酬を伴う「快適なニュース」と、遅延報酬を伴う「不快なニュース」の2種類があり、このうち私たちが世の中と向き合うために必要なのは「不快なニュース」である』ということになるのでしょうか。

  • 快適なニュース
    事件・事故・芸能・政局・スポーツなどに関する記事。読者に快楽をもたらす。
  • 不快なニュース
    政治・経済・文化などに関する記事。読者に不快感をもたらすこともあるが、人が世の中と向き合うためには必要不可欠。

こうしたシュラムの論考を受け、佐藤卓巳氏は次のように結んでいます。

とすれば、今日に至る新聞の歴史は社会進化と逆行している。もっぱら政治・経済・文化記事で占められた十九世紀の市民新聞は、二〇世紀になると煽情的な犯罪・スポーツ・マンガで埋め尽くされた。インターネットは、こうした「快楽原理による即時報酬」を極大化するメディアといえよう。

前半部分「必要なニュースが新聞からは得難くなった」については、確かにそのような傾向はあるとは感じつつも議論の余地がまだあるとは思いますが、後半部分は私も首肯するところ大です。すなわち、

ネットは「快適なニュース」に向いている ≒ ネットでは「不快なニュース」は苦戦を強いられる

「快適なニュース」を生業にしているニュースサイトは別としても、本来「不快なニュース」を提供する責任を持つニュースサイトを運営されている方であれば、恐らく誰もがこのことを痛感されているのではないでしょうか。いっそのこと運命を受け入れ「快適なニュースに向いているのであれば、ネットではそれだけにしよう」という選択肢もあるのかもしれませんが。

しかし、情報収集方法の主役が紙媒体から電子媒体に移行しつつある今、ネット上から「不快なニュース」が駆逐されることは、それはそのまま「不快なニュース」との接点が全体的に薄くなることを意味するように思います。従って私は、「不快なニュース」を提供する責任を持つ側は、どれほど大変であったとしても、ネット上から撤退するのはいかがなものかと、こう考えるわけです。

苦戦を強いられる「不快なニュース」をいかにしてうまく届けられるか、そこが問われている気がしています。厳しいですが、解決し甲斐のある、なかなかハイレベルな課題だと思うのですが。