2010年4月6日火曜日

WordPress活用参考サイト /beta

(updated on 2010-05-13)

最近WordPressに関する良記事(私もWordPressユーザなのでとても重宝しています)をよく見かけるので、まとめメモ作成がてらご紹介します。今後も良い記事があれば追加していきたいと思います。

# WordPressを導入する前に
# WordPressを導入する
# WordPressを拡張する
# デザインを洗練させる

2010年4月5日月曜日

マスメディア企業の記者・編集者がTwitterの世界に飛び込む理由

乗りかかった船、あるいはキュレーションについてさらに理解を深められればと考え、前回に引き続き今回の記事も佐々木氏(@sasakitoshinao)がTwitter上で紹介されていたキュレーションに関する英文記事からです。本記事に関する佐々木氏のTweetは次の通り。
6:17 AM Apr 4th
Twitterキュレーション。「Twitterが新聞朝刊の一面みたいなものに。フォローしている友人が、Twitter新聞の編集者になっているんだ」。 http://to.pbs.org/d3CUX8

6:27 AM Apr 4th
Twitter新聞化続き。情報のフィルタリングは、1)はてブのような集合知アルゴリズム、2)ヤフトピのような人間の編集によるアグリゲーションの2方向があったが、これに加えて、個人のキュレーションによるフィルタリングが第3の道として。

6:29 AM Apr 4th
Twitter新聞続き。「ブログによってわれわれは全員が批評家になった。タンブラーでわれわれは全員がキュレーターになる」。なるほど。
本記事のポイントは次の通りです。
  • 我々にとって情報過多は問題ではなく、我々の情報フィルタに問題がある
  • 専門家集団やアルゴリズムによってキュレートされた情報を集約するレコメンデーションサイトですら、情報フィルタとしては役不足
  • 一方でTwitterは、その利用者にとって朝刊一面の役割を果たすようになった
  • すなわち、自分が読むべき記事に対する、コメント付きのリンクをTweetしてくれる個人が、機能的な情報フィルタとなる
筆者にとってのキュレーターは「顔の見えない組織では無く、個人」と述べています。確かに私もTwitterでは企業アカウントがTweetしたリンク記事よりも、私が信頼あるいは尊敬する個人がTweetしたリンク記事をはるかに多く読みます。最近はYahooやGoogleNewsですら、殆どアクセスすることが無くなりました。こうした流れについては次の記事も参考になります。
さてここで日本のマスメディア企業について考えてみます。日本のマスメディア企業からは記者や編集者の顔が見えずらい、という印象を私は持っています。日本のマスメディア企業が展開する各メディアにおいてはまだまだ非署名記事が多く、Twitter上には日本のマスメディア企業に所属する記者・編集者の参加がまだまだ少ない、というのがその理由です。これは、「個人キュレーターが育っていない」と言い換える事ができます。従って、仮に本記事にあるような情報摂取方法が主流になった場合(現時点のTwitterの利用者数を考えると、まだ主流であるとは言えません)、日本のマスメディア企業は更なる苦境に立たされるのは火を見るよりも明らかです。そしてそうなる可能性は非常に高い…

ではどうすれば良いのか?答えはもう出ています。

日本のマスメディア企業は今からでもキュレーターを育てるしかありません。そしてそのためにも、記者・編集者の方がTwitterを初めとするソーシャルメディアの世界に飛び込むしかありません。私は担当する仕事は異なりますが、中の人として切に願います。記者・編集者の方がブログやTwitterに企業の名前を背負って参加するする事で、マスメディア企業にとっても、参加する当人にとっても(そしてもしかしたら日本のジャーナリズムにとっても)、必ず得るものがあるはずです。

最後に和訳全文を掲載しておきます。相変わらず超訳となっています。誤訳を発見されましたら、是非ご指摘下さい。

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[元記事] Our Friends Become Curators of Twitter-Based News

# 友達がTwitter上の記事のキュレータとなる

私は話す前に聞くのが好きだ。そして毎朝何かを書く前に何かを読んでいる。さて、私は毎朝どこにある何を読んでいるのか?

私は昨年、次のような話を良く耳にした。「我々の問題は情報過多ではない。情報のフィルタにこそ問題がある。そう、我々は読むべきものと読む必要の無いものを見分けなければならない。」

評論家は StumbleUponDiggRedditNewsTrusDelicious といったレコメンデーションサイトを情報のフィルタリングに利用できる、と言う。

これらアルゴリズムベースの自動サービスの中には、True/SlantThe Daily BeastGlobal VoicesHuffington PostGlobal Post といった、人間によってキュレートされたサイトから記事を収集しているものもあるだろう。

しかし私は、記事を見るためにこうしたレコメンデーションサイトや人間が作成したサイトに直接アクセスすることは、徐々にしなくなっている。私は今でもいくつかのブログ、及び NYTimes.com はチェックするようにしている。しかし、私がここ数日読んでいる記事の殆どは、Twitterからのリンクだ。ここ最近、TwitterにTweetされる内容は、食べたものや居場所といった発信者の日々の行動から、発信者が興味を持った記事に対するコメント付きのリンクへとシフトしてきている。これは、Twitterが我々にとって朝刊の一面になりつつある、とも言える。すなわち、自分を取材する側の人間(フォロワー)は友達となり、友達(自分がフォローしている人)が自分にとってのTwitter新聞の編集者となる。

「Twitterによる記事や興味対象のキュレーション」については賛否両論だ。リツイート機能はフォロワーに記事を広める。Follow Friday のようなTwitter上の文化によって自分と同じ興味を持つ個人を探せる。ハッシュタグによって特定のトピックやイベントについて議論できる。

しかし恐らく、Twitter以上にフラストレーションの溜まるアーカイブはそうは無いだろう。今日Tweetした内容は、明日にはもう見えなくなってしまう。そして、10日以上前のTweetは検索出来ず、忘れ去れてしまう…

キュレーション・ツールとしてのTwitterは、プロのキュレーターになる助けとなる。ロスを拠点としているブルガリアの首都 Sofia 出身の Maria Popova は自分自身を「カルチャーに関するキュレーターで、幅広い好奇心の持ち主」と説明する。彼女は2007年に高校を卒業すると "curating eclectic interestingness from culture's collective brain" という名のブログを立ち上げ、そして収入を得るための方法を試すように、自分が興味を持ったサイトへのリンクをTwitterでTweetし始めた。Maria は Nick Bilton によって "we are all human aggregators now" という New York Times の記事で特集され、時の人となった。加えて TBWA/Chiat/Day での仕事では、TEDGood Magazine、そして Wired UK でそのキュレーションの技術を発揮した。

昨年まで我々は、情報フィルタリングの問題点を、アルゴリズムの改善(Digg や StumpleUpon)、あるいは人の手による編集(Huffington Post や Global Voice)、によって解決可能だと考えていた。しかし我々の多くは、Popova や Gina TrapaniAndrew Sullivan といった才能を持った個人キュレータにより依存するようになった。

2005年、ブログは我々を、様々な分野に対して意見を述べる専門家に変えた。そして5年後、Marisa Meltzer が The American Prospect で述べたように、Tumblrによって我々は皆、批評よりもキュレーションに対して、多くの興味を持つようになった。

昨年の多くの会議におけるテーマが「情報フィルタリング」であったとしたら、今年の会議のテーマは「オンライン・キュレーション」となるだろう。会議の主催者 Robert Scoble は最近「キュレーション」という言葉を多く聞く、と語る。2009年に開催されたSXSWでは「キュレーション」が会議のメインテーマとなった。

個人キュレーターに関するこうした議論は、記事収集の未来について考えさせられる。例えば誰かが Global Voices あるいは Daily Beast を訪れたとしよう。彼/彼女は全ての記事を見るためにそのサイトを訪れたのだろうか?あるいは彼/彼女が信頼する特定のライターや編集者の記事を読みにきたのだろうか?

私個人は、Jeffrey Goldberg そして Graeme Wood の記事を読むために The Atlantic を訪れる。私が Foreign Policy を訪れるのは、Joshua Keating、Evgeny Morozov、そして Marc Lynch の最新記事を読むためだ。私は TechCrunch には全く興味は無い。しかし Paul Carr の最新記事はチェックしている。

特定の個人から紹介された記事ばかりを読み、そして特定の個人から多くの影響を受ける私は、もしかしたら変わり者かもしれない。しかし私は、こうしたトレンドは一般的なものであると感じている。我々が日常的に摂取している記事のキュレートは、組織では無く、個人に対してより依存するようになってきている。
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2010年4月2日金曜日

キュレーションはメディアを救えるか?

一昨日、ITジャーナリストの佐々木俊尚(@sasakitoshinao)氏が「キューレーション」というものについてTweetされていました。
3:20 PM Mar 31st
電子書籍にしろ報道にしろ、情報がオープン化していく時代においては情報を握っていることではなく、情報をどうキュレーションできるかが最大の強みとなる。これ今後のメディアの基本原則のひとつだと考えています。

3:23 PM Mar 31st
正直に言うとここ数か月、私がTwitterに精を出しているのも、情報のキュレーションをどこまで追及できるかという実践的試みの意味があったりしています。

3:42 PM Mar 31st
キュレーションは情報を収集し、選別し、意味づけを与えて、それをみんなと共有することです。参照:http://www.businessinsider.com/can-curation-save-media-2009-4
この中でキュレーションに関する英文記事へのリンクが張られていたのですが、この記事の内容が非常に興味深いものでした。記事の概要は次の通りです。
  • 今や誰もがコンテンツの制作者になれる
  • インターネットには玉石混合様々なコンテンツが溢れるようになった
  • その結果本当に必要な情報を手に入れるのが難しくなっている(単なるアグリゲーションはもはや意味を無さなくなった)
  • このような状況で最も必要とされるのが信頼のある企業(マスメディア企業)によるキュレーション、すなわちコンテンツの「収集」「選別」「意味付け」「共有」だ
  • そして「キューレーション」こそがマスメディア企業復興の鍵となる
  • 米国には既にキュレーションで成功している事例もある
博物館業界には「キュレーター」という職業がありますが、この概念をメディア業界に適用したものだと考えます。ウィキペディアのキュレーターの定義(2010年04月02日現在)には次のようにあります。
キュレーターとは

欧米の博物館(美術館含む)、図書館、公文書館のような資料蓄積型文化施設において、施設の収集する資料に関する鑑定や研究を行い、学術的専門知識をもって業務の管理監督を行う専門職、管理職を指す。

現代美術のキュレーター

現代美術の世界においては、キュレーターは展覧会の企画者としての業務が重要である。これは現代美術に携わる現役のアーティストの社会との接点が主として展覧会であり、現代美術と社会の橋渡しをする存在としてキュレーターが重要な位置を占めるからでもある。キュレーターの仕事は、展覧会のテーマを考え、参加アーティストやアート作品を選択し、しかるべき展示会場に、好ましい効果を発揮するようにアート作品を設置し、カタログに文章を執筆することなどである。
メディア業界におけるキュレーションは「編集者が、自身が担当するメディア(ウェブサイト)のテーマを考え、コンテンツの制作者やブロガーを選択し、しかるべき場所に、好ましい効果を発揮するようにコンテンツを配置し、解説文などで補足すること」と言い換える事ができそうです。

私は以前から同様の考えを持っていたため、「キュレーション」という概念は非常にしっくりきました。そして佐々木氏が仰るように、マスメディア企業は一刻も早くこの「キュレーション」に取り組むべきだと考えます。

以下、本記事の全訳を掲載しておきます。シドニー・シェルダン並みの超訳となっている箇所もありますがご容赦下さい。誤訳を発見されましたらご連絡いただけると助かります。

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[元記事] Can 'Curation' Save Media?

# キュレーションはメディアを救えるか?

WEB上で「読む」「観る」「共有する」ことについて、規模の大小に拘らずメディア企業にとって非常に良いきざしがある。キュレーションだ。

メディアについてポジティブな事を言うのはそれほど一般的ではない。今起きている変化は実用的、必然的なもので、編集作業がとりあえず楽になっただけに過ぎず、今もなお旧メディアにとっては厳しい日々が続いている。しかし、未来はすぐそこまで来ている。

メディア企業はまず過去から脈々と続く配信・配送の仕組を廃棄しなければならない。新聞と雑誌は双方とも大きさや形、紙の質感と結びついている。きらきらとした雑誌の質感に対してざらざらとした新聞の質感…こうした相違点はデジタルの世界には存在しない。元 Time Inc. Ventures の編集者兼主任、現在は Readers Digest のCEO兼社長である Eric Schrier 氏は次の様に言う。「私はこれまで、雑誌ビジネスは雑誌社をコンテンツ会社と捉え直すことで、新しい環境でも生き残り繁栄するだろう、と言い続けてきた。」

コンテンツがデジタル形式でいつでもどこにでも配信される世界では、雑誌社、テレビ局、本の販売元、そして一般利用者はみな等しく情報配信プラットフォームとしてのWEBにアクセスできる。ブランドや広告会社も同様だ。実は旧メディアの創始者達は、「メディアをスポンサーからの広告費で運営する」ビジネスモデルにおいて、等しく良いポジションに居る。「広告からPR、ダイレクトマーケティングからプロモーションに至るまで、デジタルは我々の行動全てに関与している。」とはOgilvy Digital のCEO Jean-Philippe Maheuの言。

ここで Maheu と Schrier の共通点がキュレーションだ。

キュレーションは、メディアの敵とみなされている二大トレンド、すなわち「数千のユビキタスなコンテンツ配信」及び「一般の人々によるコンテンツ作成」を克服するために、過去12カ月で大きな影響を持った言葉だ。

旧い形態の配信は対マス向けであった。しかし新しい形態の配信は対少数向けだ。すなわち、無数のコンテンツが作成され、そしてそれらコンテンツの大多数は少数の人の興味しか惹かない、という事だ。しかしここには、関係性も無くばらばらなコンテンツとともに、発見され、整理され、広告が付くような、関連性を持った素材もある。

メディアで働く専門家にとって、キュレーションが新たな役割となる。

最も重要なのは、編集作業に重きを置き、コンテンツの探索に時間を費やす事は望まない人々に対し、クオリティの高いコンテンツのコレクションを与えることだ。これは我々がメディアに対して期待することで、そしてメディアはそれをより良く実践するためのツールを既に持っている。

そう、メディアの未来はより良いもので、決して悪いものではない。

例えば The Readers Digest Association (RDA) は食べ物のカテゴリを扱っている。RDA は休日の食事及び日々の家族向けの晩御飯を料理するミドル世代をターゲットとした TasteofHome.com というサイトを保有している。彼らは彼らの読者の味覚、そして予算を知っている。以前 Tast Of Home は毎週何本かの動画を制作、合計200本を制作してきた。しかしそれだけは足りなかった。現在、彼らは品質の高い2800本の動画を所有しているが、彼らはこれら全てを制作したわけではない。彼らはキュレートしたのだ(www.videos.tasteofhome.com を参照)。

キュレーションはアグリゲーションに近い意味を持つ。アグリゲーションは「集める」ことで、例えば "Easter Supper" という言葉で動画を見つけるようなものだ。しかし、誰もが携帯電話で、動画を始め様々なコンテンツの制作が可能になってしまい、コンテンツは溢れ、もはや集める事には価値は無くなった。アグリゲーションはアグリゲーションでしかないのだ。

Arianna Huffington は早期のキュレータだ。'Huffington Post' の編集チームは、彼女らのHPに掲載するトピックを選び出す。彼女らはジャーナリステックな編集作業において、ブログやウェブサイトから最適なコンテンツを選び出す作業を実施している。Michael Wolff の 'Newser' も同様だ。恐らくキュレータの第一人者は 'The Drudge Report' の Matt Drudge だろう。

今日、キュレーションは多くの編集チームにとって中心的なものとなっている。The New York Times は外部からブログ記事をキュレートしている。そして Times は彼らが彼らのブランドでコンテンツを評価し再配信することが、読者及びコンテンツの作り手にとって、より価値のあることだということを知っている。

キュレーションは、ブランドと配信に力を再び与える。だれもがコンテンツの制作者となり得る現在、信頼されているコンテンツ制作者によるコンテンツの収集及び提供はリスクを伴うため、より価値がある。

動画のトレンドはUGV(user-generated video / ユーザが制作した動画)からCVC(curated video content / キュレートされた動画)に向かう。

ここで、休暇でユタ州の Park City に行く事を計画しているSmith一家について考えてみよう。彼らは YouTube で動画を見る事ができる。しかし目的の動画を探す中で、大量のスパム動画に晒される。中には危険な動画もある。しかし、スキー雑誌、もしくは Park City Resort がSmith一家に提供する動画にはこうした心配が無い。ここにキュレーションがある。

目的に合致した形で集められ提示されるコンテンツ。スキー雑誌がキュレートした Park City に関するコンテンツ群には、異なる趣旨、異なるコンテンツが存在するだろう。Ogilvy の Maheu は次のように言う。「近い将来日常的になる新たなマーケティングチャネル、これを通してブランドを形成する新たな機会として捉え、このビジネス(キュレーション)に参入する…これは非常にエキサイティングだ。私は、広告主がコンテンツが持つメッセージをより効果的にすることで、Curated Video Content に対する新たなニーズが産まれるものと考える。」

キュレーション経済の出現は信頼された情報源に対するより大きなニーズを創造し、そして Schrier のアドバイスを聞き入れたメディア企業は、シングル・メディア・プラットフォームからマルチ・メディア・プラットフォームに迅速に進化する事ができる。しかし、そのインパクトはとても大きい。既に私の会社 Magnify.net は52,000ものキュレートされた動画のチャンネルを持つ。メディア企業は彼らのキュレーションのソリューションを Magnify.net 上に見出しており、電子商取引の会社と共に参入し、ブランドや新たな複合コンテンツ群を構築し始めている。

Taste of Home、New York Magazine、Jones Soda、Zappos.tv、そして Bicycling Magazine。これらはみなコンテンツのキュレーションを将来の編集の鍵だとみなしている。コンテンツの制作者がプロフェッショナルから一般の人たちに広がる中、信頼できるコンテンツの集合は重要になってきている。

キューレートされたマイクロメディアの例を www.Droideo.com に見る事ができる。これは Google Android に関する Google Android ユーザのためサイトだ。このサイトは3500のユーザを抱え、Android に関する最高の動画を保有する。サイトのオーナーはキュレートに細心の注意を払い、そして訪問者は、洗練され、自身の興味にフォーカスされた関連性の高いコンテンツを見るために毎日訪れる。これが私にとってのメディアだ。
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