2010年4月5日月曜日

マスメディア企業の記者・編集者がTwitterの世界に飛び込む理由

乗りかかった船、あるいはキュレーションについてさらに理解を深められればと考え、前回に引き続き今回の記事も佐々木氏(@sasakitoshinao)がTwitter上で紹介されていたキュレーションに関する英文記事からです。本記事に関する佐々木氏のTweetは次の通り。
6:17 AM Apr 4th
Twitterキュレーション。「Twitterが新聞朝刊の一面みたいなものに。フォローしている友人が、Twitter新聞の編集者になっているんだ」。 http://to.pbs.org/d3CUX8

6:27 AM Apr 4th
Twitter新聞化続き。情報のフィルタリングは、1)はてブのような集合知アルゴリズム、2)ヤフトピのような人間の編集によるアグリゲーションの2方向があったが、これに加えて、個人のキュレーションによるフィルタリングが第3の道として。

6:29 AM Apr 4th
Twitter新聞続き。「ブログによってわれわれは全員が批評家になった。タンブラーでわれわれは全員がキュレーターになる」。なるほど。
本記事のポイントは次の通りです。
  • 我々にとって情報過多は問題ではなく、我々の情報フィルタに問題がある
  • 専門家集団やアルゴリズムによってキュレートされた情報を集約するレコメンデーションサイトですら、情報フィルタとしては役不足
  • 一方でTwitterは、その利用者にとって朝刊一面の役割を果たすようになった
  • すなわち、自分が読むべき記事に対する、コメント付きのリンクをTweetしてくれる個人が、機能的な情報フィルタとなる
筆者にとってのキュレーターは「顔の見えない組織では無く、個人」と述べています。確かに私もTwitterでは企業アカウントがTweetしたリンク記事よりも、私が信頼あるいは尊敬する個人がTweetしたリンク記事をはるかに多く読みます。最近はYahooやGoogleNewsですら、殆どアクセスすることが無くなりました。こうした流れについては次の記事も参考になります。
さてここで日本のマスメディア企業について考えてみます。日本のマスメディア企業からは記者や編集者の顔が見えずらい、という印象を私は持っています。日本のマスメディア企業が展開する各メディアにおいてはまだまだ非署名記事が多く、Twitter上には日本のマスメディア企業に所属する記者・編集者の参加がまだまだ少ない、というのがその理由です。これは、「個人キュレーターが育っていない」と言い換える事ができます。従って、仮に本記事にあるような情報摂取方法が主流になった場合(現時点のTwitterの利用者数を考えると、まだ主流であるとは言えません)、日本のマスメディア企業は更なる苦境に立たされるのは火を見るよりも明らかです。そしてそうなる可能性は非常に高い…

ではどうすれば良いのか?答えはもう出ています。

日本のマスメディア企業は今からでもキュレーターを育てるしかありません。そしてそのためにも、記者・編集者の方がTwitterを初めとするソーシャルメディアの世界に飛び込むしかありません。私は担当する仕事は異なりますが、中の人として切に願います。記者・編集者の方がブログやTwitterに企業の名前を背負って参加するする事で、マスメディア企業にとっても、参加する当人にとっても(そしてもしかしたら日本のジャーナリズムにとっても)、必ず得るものがあるはずです。

最後に和訳全文を掲載しておきます。相変わらず超訳となっています。誤訳を発見されましたら、是非ご指摘下さい。

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[元記事] Our Friends Become Curators of Twitter-Based News

# 友達がTwitter上の記事のキュレータとなる

私は話す前に聞くのが好きだ。そして毎朝何かを書く前に何かを読んでいる。さて、私は毎朝どこにある何を読んでいるのか?

私は昨年、次のような話を良く耳にした。「我々の問題は情報過多ではない。情報のフィルタにこそ問題がある。そう、我々は読むべきものと読む必要の無いものを見分けなければならない。」

評論家は StumbleUponDiggRedditNewsTrusDelicious といったレコメンデーションサイトを情報のフィルタリングに利用できる、と言う。

これらアルゴリズムベースの自動サービスの中には、True/SlantThe Daily BeastGlobal VoicesHuffington PostGlobal Post といった、人間によってキュレートされたサイトから記事を収集しているものもあるだろう。

しかし私は、記事を見るためにこうしたレコメンデーションサイトや人間が作成したサイトに直接アクセスすることは、徐々にしなくなっている。私は今でもいくつかのブログ、及び NYTimes.com はチェックするようにしている。しかし、私がここ数日読んでいる記事の殆どは、Twitterからのリンクだ。ここ最近、TwitterにTweetされる内容は、食べたものや居場所といった発信者の日々の行動から、発信者が興味を持った記事に対するコメント付きのリンクへとシフトしてきている。これは、Twitterが我々にとって朝刊の一面になりつつある、とも言える。すなわち、自分を取材する側の人間(フォロワー)は友達となり、友達(自分がフォローしている人)が自分にとってのTwitter新聞の編集者となる。

「Twitterによる記事や興味対象のキュレーション」については賛否両論だ。リツイート機能はフォロワーに記事を広める。Follow Friday のようなTwitter上の文化によって自分と同じ興味を持つ個人を探せる。ハッシュタグによって特定のトピックやイベントについて議論できる。

しかし恐らく、Twitter以上にフラストレーションの溜まるアーカイブはそうは無いだろう。今日Tweetした内容は、明日にはもう見えなくなってしまう。そして、10日以上前のTweetは検索出来ず、忘れ去れてしまう…

キュレーション・ツールとしてのTwitterは、プロのキュレーターになる助けとなる。ロスを拠点としているブルガリアの首都 Sofia 出身の Maria Popova は自分自身を「カルチャーに関するキュレーターで、幅広い好奇心の持ち主」と説明する。彼女は2007年に高校を卒業すると "curating eclectic interestingness from culture's collective brain" という名のブログを立ち上げ、そして収入を得るための方法を試すように、自分が興味を持ったサイトへのリンクをTwitterでTweetし始めた。Maria は Nick Bilton によって "we are all human aggregators now" という New York Times の記事で特集され、時の人となった。加えて TBWA/Chiat/Day での仕事では、TEDGood Magazine、そして Wired UK でそのキュレーションの技術を発揮した。

昨年まで我々は、情報フィルタリングの問題点を、アルゴリズムの改善(Digg や StumpleUpon)、あるいは人の手による編集(Huffington Post や Global Voice)、によって解決可能だと考えていた。しかし我々の多くは、Popova や Gina TrapaniAndrew Sullivan といった才能を持った個人キュレータにより依存するようになった。

2005年、ブログは我々を、様々な分野に対して意見を述べる専門家に変えた。そして5年後、Marisa Meltzer が The American Prospect で述べたように、Tumblrによって我々は皆、批評よりもキュレーションに対して、多くの興味を持つようになった。

昨年の多くの会議におけるテーマが「情報フィルタリング」であったとしたら、今年の会議のテーマは「オンライン・キュレーション」となるだろう。会議の主催者 Robert Scoble は最近「キュレーション」という言葉を多く聞く、と語る。2009年に開催されたSXSWでは「キュレーション」が会議のメインテーマとなった。

個人キュレーターに関するこうした議論は、記事収集の未来について考えさせられる。例えば誰かが Global Voices あるいは Daily Beast を訪れたとしよう。彼/彼女は全ての記事を見るためにそのサイトを訪れたのだろうか?あるいは彼/彼女が信頼する特定のライターや編集者の記事を読みにきたのだろうか?

私個人は、Jeffrey Goldberg そして Graeme Wood の記事を読むために The Atlantic を訪れる。私が Foreign Policy を訪れるのは、Joshua Keating、Evgeny Morozov、そして Marc Lynch の最新記事を読むためだ。私は TechCrunch には全く興味は無い。しかし Paul Carr の最新記事はチェックしている。

特定の個人から紹介された記事ばかりを読み、そして特定の個人から多くの影響を受ける私は、もしかしたら変わり者かもしれない。しかし私は、こうしたトレンドは一般的なものであると感じている。我々が日常的に摂取している記事のキュレートは、組織では無く、個人に対してより依存するようになってきている。
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