2010年4月14日水曜日

盲信の罪、メディアリテラシの必要性

メディアリテラシについてはブログを始めて以来ずっと書きたかったのですが、これまでは自分の中で考えがまとまらず、なかなか踏み出せずにいました。しかし昨日の @smashmedia さんのブログ記事『「ツイッターを疑え!」を疑え』である程度ピースが揃いましたので、少しまとめてみたいと思います。

今月1日、DAYS JAPAN 主催のイベント「ユダヤ人の起源-歴史はどのように創作されたのか」に参加しました。本イベントは書籍「ユダヤ人の起源」の出版を記念するものですが、ここで東京大学の板垣雄三氏による非常に興味深い講演がありました。氏は日本人のメディアリテラシの低さについて次のように言及されていました。
  • 長年テレビ・新聞を初めとしたマスコミはイスラエル-パレスチナ問題について間違った報道を繰り返してきた
  • そのせいもあって多くの日本人は今もイスラエル-パレスチナ問題に対して誤った見方をしている
  • (太平洋戦争の例を挙げて)日本人は歴史的にだまされやすい民族であることは歴史が証明している
  • そして今もまた沖縄の問題において同じことが繰り返されている
氏は続けて、こうした恒常的にメディアリテラシの低い状況から日本人が抜け出すには、我々個人々々が次の3点を常に心がけることが大切であると仰いました。
  1. メディアによって作られた常識を疑う目を持つ
  2. 組織によって仕組まれた虚構を見破る直感力を養う
  3. 弱きを助け強きを挫く勇気を持つ
これを聴いたとき、私は強い共感を覚えました。しかし、それと同時にどれも自分には欠けていることにも気付きました。つまりメディアリテラシの低さを痛感したのです。氏は「盲信は罪」と仰いました。盲信によって取り返しの付かない事態に陥ることもある、と。それではどうすればメディアリテラシを高められるのでしょうか?

私は一つの事象に対する多様な意見に触れることも一つの訓練になるのでは、と考えています。近年我々は、ソーシャルメディアの普及に伴いツイッターやブログ、SNSを通じて様々な意見に直接触れられるようになりました。こうした環境を「上手く」利用することで、我々はメディアリテラシを少しでも高められるのではないでしょうか。

先日、「ソトコト」という雑誌において非常に興味深い取り組みがありました。雑誌の記事に対する意見をツイッターで募る、というものです。
メディアリテラシの向上は情報の受け手の責任ですが、情報の出し手にも同じように責任があります。私は「ソトコト」が実施したようなこうした取り組みは、メディアリテラシの向上にも寄与すると考えます。是非他のメディア媒体でも実施して欲しいところです。

ところで海外では教育によってメディアリテラシを高める動きがあります。特にイギリスとカナダではかなり進んでいるようです。これらの国々では官民一体となってメディアリテラシの向上について様々な取り組みがなされています。、例えば、実際にCMや新聞制作を体験させて作り手の考えを身につけさせたり、街中に実際にある広告を分析させたり、といったメディアリテラシを高めるための野心的なプログラムを初等教育や中等教育に組み込んでいる地域もあります。なお、こうした海外の取り組みの詳細については次の書籍が参考になると思います。
翻って日本に目を向けると…残念ながら日本でのメディアリテラシ教育の取り組みについて、私は殆ど聞いた事がありません(もし何か先進的な事例をご存知の方がいらっしゃれば是非ご教授下さい)。日本人が同じ過ちを繰り返さないためにも、幼いうちからのメディアリテラシ教育の普及は急務であると考えます。

最後に、「メディアによって作られた常識」や「組織によって仕組まれた虚構」については、次の書籍が参考なると思います。是非読んでみて下さい。
板垣雄三氏の「盲信は罪」という言葉を重く捉え、そして氏の3つの提言を心に留め、これからはメディアリテラシを養っていきたいと思います。