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2010年4月22日木曜日

電子書籍の傾向と対策

先日の電子書籍関連イベント「ePublishing Cafe」でのイーブックイニシアチブジャパン(以下、ebookjapan)の小出氏(@koicchin)とイーストの下川氏(@eijyo)による講演内容がとても勉強になりましたので、その内容を簡単にまとめておきます。運営関係者の皆様、本当にありがとうございました。

まず電子書籍をめぐるおおまかな現状から。
  • 2009年の電子書籍の市場規模は日本がダントツの世界一で、日本の場合は市場規模の9割以上がケータイ向けの電子書籍(INTERNET Watchに「日本における電子書籍の市場規模の推移」が、セルシスが発表したプレスリリースに「日本の2008年度の電子書籍の市場規模に対する解説[PDF]」が、それぞれ掲載されています)。<※正確な数字は失念してしまいましたが、日本が500億円強、アメリカは20億円強だったと記憶しています。どなたか正確な数字をご連絡いただけると助かります>
  • 日本の紙の書籍の市場規模は年々縮小(2007年は約39億冊、2009年は約34.5億冊)。
  • それに伴い日本の出版社数も縮小(2007年は4260社、2009年は3939社。ここには個人出版者も含まれる)。
  • 電子書籍の流通フォーマット(電子書籍リーダで取り扱い可能なフォーマット)には様々なものがある。ここで、日本の主流(.MOBITTZ/TTX、.BOOKなど)と世界の主流(ePub及びPDF)は異なる
  • アマゾンのKindleやアップルのiPadがけん引役となり、電子書籍リーダの世界の市場規模は年々大きくなると予測(2000年は550万台だったのが2013年は2200万台程度にまで大きくなると予測)。
  • KindleやiPad、今後海外で発売が予定されている電子書籍リーダで共通で利用可能な流通フォーマットは世界の主流(ePub及びPDF)に集約されていくものと想定される(ただし、iBookのePubは通常のePubを拡張したものとなっている)。
  • 著作権保護の観点から、PDFよりもePubが主流になると思われる(ePubにはDRMの埋め込みが可能)。
国の電子書籍に対する取り組みは総務省のホームページで確認できます。ちなみに国会図書館の現館長はIT畑出身ということで、国会図書館は既に蔵書のデジタル化に熱心に取り組んでいるようです。

さて次に電子書籍に関わる問題点です。
  • もともとデジタル化されていた音楽とは異なり、紙媒体のデジタル化にはコストがかかる
  • 既に紙媒体で出版済の書籍については著者等との権利関係が複雑なため、デジタル化に至るまでの調整に時間がかかる。
  • 今後デファクトとなりそうな電子書籍の流通フォーマットであるePub(現在のバージョンは2.0)は欧米中心に標準化作業が実施されているため、日本の要望が反映されていない。(現在のePubの問題点「文字サイズの変更に伴うレイアウトの崩れ」や「ルビに未対応」などを次期ePubにおいて是正してもらうため、日本は中国や韓国と連携してePubの標準化団体である IDPF : International Digital Publishing Forum に対して要求仕様を提示する予定)
こうした状況の中、ebookjapanでは2000年から電子書籍に対して積極的に取り組まれています。
  • ebookjapanはマンガを中心とした電子書籍の販売サイトを運営する一方で、出版社・著者からの委託を受け、紙の書籍のデジタル化を推進している。
  • ebookjapanの2010年4月現在のラインナップ数は約3万5千点(その殆どがマンガ)だが、これではまだまだ足りず、最低ラインの10万点までは早急に増やしたい。
  • ebookjapanの電子書籍の流通フォーマットはEBIで、リーダは専用アプリ。2010年4月現在、Windows、Macの他、iPhoneにも専用リーダアプリをリリース済で、今後はiPad、アンドロイドにも順次専用リーダアプリを投入予定。
  • ebookjapanでは、直接ebookjapanと契約した場合の著者のレベニューシェアは二割から三割程度(間に出版社が入った場合はわからない)。
  • 「トランクルームサービス」でアンビエントな環境(好きな時に好きなデバイスで読める環境)をある程度確保しつつ、海賊版対策も実施(セカンドベスト)。
  • 日本のマンガは世界的にも人気が高いため、現在は大きな市場が見込めるアジアへ進出中。既に台湾には進出済で、台湾を橋頭堡に中国市場へ狙いを定めている。
講演者の小出氏曰く、200冊の紙の書籍を制作するのに20年かけて育った直径20センチ高さ8メートルの木1本が必要とのことでしたので、デジタル化はエコにも繋がりそうです。なお、ebookjapanの取り組みについてはNHKの「Bizスポ」で放映された特集がとても参考になりそうなのですが、残念ながらYouTubeにはありませんでした。

そして最後、ITエンジニア視点での電子出版への対策(あくまで私見)を少しまとめておきます。
  1. 今からデジタル化に着手する場合、KindleにせよiPad(iBook)にせよ主要な電子書籍リーダが共通して採用している流通フォーマットはePubであるため、とりあえず最終的にはePubに変換できるよなフォーマットを採用しておく。
  2. 既にデジタル化に着手している場合、現時点で採用している流通フォーマットからePubに変換する道筋をつけておく。
  3. ただし、ePubは現時点でやや難があり、また、今後もそれが解消する保証は無いため、インタラクティブ性の高い電子書籍とする場合には、専用アプリで展開することも視野に入れる。
  4. 今のうちに権利関係を整理するよう他部署へ働きかける。
  5. 次期ePubに日本からの要求をより多く反映してもらうように何らかの支援を試みる。
電子書籍はこれから益々の成長が見込める分野であり、また技術的にも非常に興味深い分野でもあるため、これからも関わっていきたいと思います。また、早速取り組みたいところでもあります。

もし内容に不備など発見されましたら、ご連絡いただけると助かります。

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[2010-04-22 18:30]
「日本における電子書籍市場規模の推移」(INTERNET Watch)及び「日本の2008年度の電子書籍の市場規模に対する解説」(セルシス)へのリンクを追加。@mryo0826 さん、ありがとうございました!

[2010-04-26 10:27]
ITmedia オルタナティブ・ブログに大元隆志氏(@takashi_ohmoto)が素晴らしい関連記事をアップされていました。
この話も押さえておきたいですね。

2010年4月19日月曜日

キュレーションの業務フローと業務プロセス

オンラインコンテンツのキュレーションについてさらに理解を深められそうな記事がありましたのでご紹介します。これまでの記事によってキュレーションの概要については概ね把握できるかと思います。
しかしこれまでの記事ではキュレーションの具体的な業務フローと業務プロセス(どのような作業をどのような順番で実施すれば良いか)についてはあまり触れられていませんでした。今回の記事はここを埋めるものとなります。本記事の作者 Robert Scoble 氏は名著「ブログスフィア」(お勧めの本です)の共著者で、ソーシャルメディア、特にブログに対する知見は非常に深いものがあります。その Scoble 氏の記事とあってとても読み応えがありました。
Scoble 氏は、リアルタイムに更新される原子レベルの情報、すなわちツイッターのツイートや Google Buzz のメッセージもキュレーションの対象になるとした上で、キュレーションの業務フローと業務プロセスを次のように定義しています。
  1. 原子レベルの情報を束ねる
    あらゆるソーシャルメディアから関連する原子レベルの情報を収集・選別し、束ねる。
  2. 束ねた原子レベルの情報を並べ替えて分子レベルの情報を作成する
    束ねた原子レベルの情報を、例えば重要度が伝わるような形で並び替え、分子レベルの情報を作成する。
  3. 分子レベルの情報を配信する
    分子レベルの情報を、ツイッターや Facebook、メールなど、適切な方法で配信する。
  4. 分子レベルの情報に対して意見を述べる
    分子レベルの情報に対して、自分の(客観的な)意見を付与する。
  5. 分子レベルの情報を更新する
    状況の変化に合わせて、分子レベルの情報を更新する。
  6. 読者が参加するためのウィジェットを追加する
    読者からのコメントをもらったり、読者にアンケートをとるための機能(ウィジェット)を追加する。
  7. 読者を追跡する
    アクセスツールなどで、読者の足取り(どこから来たのか、どのくらい見られたか、何に人気があったかなど)を調査する。
ここで Schoble 氏は、各業務プロセスにおいてクロスプラットフォームで利用可能なツール(全てのプラットフォームを横断的に利用可能な単一のツール)が未だに整備されていない現状を指摘しています。どうやらツールベンダが次のようなことを懸念しているために、ツールの構築が進んでいないようです。
  1. 各プラットフォームのAPIが異なるため、クロスプラットフォームで利用可能なツールの作成は技術的に困難である。
  2. プラットフォームベンダの動向を気にしている(例えばせっかくツールベンダが機能を作成したとしても、プラットフォームベンダがさらに高性能の機能を作成する可能性がある)。
  3. ツールを作成したとしても利用者が少ないと考えている(ただ、Scoble 氏はこれは杞憂であるとしています)。
ツールが整備されていないと業務効率が著しく低下するため、これは今後の課題となりそうです。キュレーションは今後間違いなく普及することを考えると、日本のツールベンダにも是非頑張って欲しいところですね。さて、Schoble 氏は最後に、キュレーションを取り巻く状況は今後改善されていくことを次のように予測されています。
  1. (様々なソーシャルメディアにリアルタイムに掲載される原子レベルの情報を対象とした)検索機能は近い将来改善されるだろう
  2. リアルタイムにトレンドを把握するための機能は近い将来改善されるだろう
  3. ブランド価値のある分子レベルの情報と広告は結びつくだろう
  4. プラットフォームベンダは近い将来マネタイズの手法を確立するだろう
  5. 位置情報サービスは分子レベルの情報に付加価値を与えるだろう
  6. 関連性や信頼性の付与はシステム化されるだろう
キュレーションが普及し、マネタイズの手法が確立されるのはもう間近なのかもしれません。

なお、本記事は英文記事の内容を基にして作成しています。もし私の認識が誤っている箇所など発見されましたら指摘いただけると助かります。

2010年4月18日日曜日

#book 報道とツイッター

「人間は社会的な生き物だから、ソーシャルメディアはインフラになる」。ソーシャルメディアに関する議論においてよく耳にする言葉です。これには私も賛成で、これまで本ブログでも何度か言及してきましたが、今後日本でもソーシャルメディアは情報流通の中心になると確信しています。しかし、ソーシャルメディアには様々なものがあるため、実際にビジネスで利用する事を検討してる企業は今後どのサービスがデファクトになるかを慎重に見極め、そして目的を明確にした上で採用を決定する必要があり、これは極めて困難なプロセスになるかもしれません。ここで、シェル・イスラエル氏による「ビジネス・ツイッター」は大いに参考になりそうです。
本書の書評としては、ループス・コミュニケーションズ・斉藤氏(@toru_saito)の書評を強くお勧めします。本書購入の決め手となりました。また、AMN・徳力氏(@tokuriki)の書評も非常に参考となりますので合わせてご参照下さい。
さて、私は報道機関で働く人間の視点から、本書について少し解説したいと思います。

本書の第11章「ツイッターと個人としてのブランド作り」で紹介されていたNBCのテレビカメラマン、ジム・ロング氏(@NewMediaJim)の事例は、現在マスメディア企業で働かれている記者・編集者の方々がセルフブランディングについて考えられる上で非常に参考になるのではないでしょうか。
  • ジム・ロング氏は1993年以来、NBCのテレビカメラマンを務めている
  • テレビを含めたオールドメディアには昔日の勢いは無く、近い将来自分にもリストラされるのではないかと考えていた
  • 2008年のSXSWカンファレンスにて氏はツイッターに出会った
  • 以降、テレビカメラマンの視点でTweetしていたが、これが評判となった
  • 2009年5月現在3万のフォロワーがいる(2010年4月18日現在は3万7千)
  • 氏はツイッター上でセルフブランディングを行っている
  • レイオフされることに備えておき、NBCで過去15年の間に培った経験を生かし、自分自身のブランドで新しいオンラインビジネスをいつでも始められるようにしている
ジム・ロング氏のツイッター利用について、著者は「ロングの活動がクチコミ・ネットワークの世界におけるNBCの存在を拡大していることは確かだ」と述べた上で「ロングがツイッターで行ってきたさまざまな活動は、NBCが新しい対話メディアの時代に対処できるよう変身するのに、大きな参考となるはずだ。だが、NBCのトップが本当にそうした変身を望んでいるのかは疑わしい」としています。そして「ロングはオールドメディアの職で得た経験を、ツイッターで作った個人ブランドの上でビジネスに結びつけようとしている。同僚たちの多くが時代遅れの遺物となる危険にさらされているのに反して、ロングが成功を収める可能性は高い」と締めくくっています。

現在マスメディア企業で働かれている方は、第12章「複合ジャーナリズムの時代」だけでも読む価値はあると思います。ツイッターの登場は情報流通に何をもたらしたのか、そして情報流通はこれからどのように変わっていくのか…本書で明快に解説されています。市民ジャーナリズムはかつてないほどに広がり、発信力も高まっています。そして間違いなく言えることは、今やジャーナリズムにとってソーシャルメディア、特にツイッターは欠かせない、という事です。
P277
メディア企業の価値は、信頼できるニュースを届けるための効果的な組織であるところに存在する。それがニュースメディアのブランドである。ブランドはコンテンツが印刷された紙に属している。読者がオンラインに移動すれば、新聞社はいやいやながらもその後を追わざるをえない
P282
ソーシャルメディアは、災害が襲ったときに、たったひとりの人間でも、立ち上がってコミュニティの人々の情報交換に貢献できることを証明した。
個人的には第16章「ヒントと指標、加えて少々細かい話」の「フォロワーを減らすことも大事だ」にあった次の一節が非常に印象に残りました。
P398
(著者自身の興味の変遷について)フォロワーが好むソーシャルメディアの話題に終始しているべきだっただろうか。私は否と答えたい。昨日興味をもった内容だけを書いていれば、日々の成長すら感じられなくなるではないか。しばしば、そんなものは存在しないのに、フォロワーへの義務を感じてしまったりすることがある。発言に対して報酬をもらっているわけではない。私に何か価値があるから人がフォローしてくれるのだ。

私はライターとして種々の経験を積んできた。自分の立ち位置をいろいろと変えてさまざまなテーマに取り組んできた。ツイッターでは少しスタンスを変えて、自分のスタンスを保ちつつ、フォローする人やフォローをやめる人の数を見て適正な位置を探っている。
本書、お勧めです。

#book 過酷な途上国開発の経験に裏打ちされた普遍的なもの

ジャクリーン・ノヴヴォグラッツ氏の「ブルー・セーター」はどなたにも間違いなくお勧めの一冊です。
現在は、途上国で貧困問題に取り組む現地の人向けに投資を行っている非営利投資会社「アキュメン・ファンド」のCEOを務められている著者の自著伝。著者の過酷な途上国開発の経験によって裏打ちされた数々の言葉には、普遍的なものがあると感じました。著者の謙虚に学ぶ姿勢があってこそ、なのかもしれません。今後も著者の活躍に注目したい。

以下、本書から特に印象に残った箇所の抜粋です。なお、本書の魅力は、著者の数々の経験と深い知見とが結びついているところです。どのような経験を経て、こうした知見に辿り着いたのか…ここに興味を持たれた方は、是非本書を手にとっていただければと思います。
P24
三五歳で老けこむのはごめんだ。情熱を持って日々新しい人生を生きるには、冒険をして、人のために働かなくては。
P52
アフリカで貢献するには、自分自身をもっとよく知り、目標をはっきり持つ必要がある。私のやり方ではなくアフリカのやり方で、アフリカと向き合うこと。自分の限界を知り、お情け深い慈善屋ではなく、ここにいることで何かを提供し、何かを得る人間だと示すこと。同情は役には立たない。
P60
寄付金を拠出する人たちは、いい話をいくつか聞いただけで、機能していない団体への寄付を決めてしまいかねない。世界が必要としているのは、もっとましなことだ。
P82
将来のメッセージとプログラムをどうデザインすべきか、また物事がどうおこなわれるべきかを考えるとき、どうやって私たち自身の見方から離れ、どうやって人の生活の仕方、互いのコミュニケーションの取り方を注意深く見るか、が大切なのだ。
P199
開発途上地域には経営スキルが必要だ。善意の人間というだけでなく、どうやって社会を始め、作るかを知っている人間が必要だ。力と金を持っている人間がルールを作るのはわかってきた。だが力だけでは、腐敗し、蝕まれる。「愛をともなわない力は」とマーティン・ルーサー・キング牧師は最後の演説の一つで言った。「無謀で不正なものです」それからこうつづけた。「力をともなわない愛は、感傷的で無力です」
P202
変化を起こすには、社会運動がいかに内部と外部と両方の人間を必要とするか、また、違い――民族、宗教、階級、思想の想い――を乗り越えて互いに話し合うことを学ぶのがどれほど大切か。
P203
自分自身のことを知って初めて、ほかの人のことをほんとうに理解できる――自分が来た場所のことを知るのは、自分自身を知ることの大切な一部だ
P208
耳を傾けなければ、問題を理解することができず、決して問題に取り組むことはできない。
P213
「もし知性だけを持って世界のなかを動くなら、片足で歩くことになる」
「もし共感だけを持って世界のなかを動くなら、片足で歩くことになる」
「だが、もし知性と共感とをともに持って世界のなかを動くなら、知恵を得る」
P373
貧困問題への解決を開発するプロセスを複雑にしているのは、マスコミや、自分のやり方だけが唯一のやり方だと想っている理論的リーダーから聞こえてくる雑音だ。彼らは、人々の声を聞くことを知らない――その能力がかつてないほど重要になっているにもかかわらず。
ツイッターを本格的に始めてから、良書に出会う確率が高くなってきていると感じています。本書もツイッター上で推薦されていたものです。

2010年4月16日金曜日

記者・編集者のセルフブランディングを支援する

今後は「所属企業から生活に必要な最低限の収入を得、金銭的により豊かな生活を送りたい記者は自分の裁量で別の収益源を確保する」というスタイルがますます一般的になる事が予想されます。ここで記者・編集者が「別の収益源を確保する」ために大きな力となるのが自分自身のブランドです。ある程度以上のブランドを確立した記者・編集者は、所属企業からの給料以外の収益源を確保し易くなります。例えば従来からある「他社媒体へ記事を寄稿する」や「自分の専門分野に関する書籍を出版する」でも良いですし、これからは「人気ブログメディアを運営する」も見逃せません。

ところで、ブランドが確立された記者・編集者は市場価値が高まり、転職・独立する可能性が高くなります。しかしその一方でブランドが確立された記者・編集者は優秀な人材を惹き付けます。すなわち、記者・編集者のブランドを高め、良い人材を輩出すればするほど、新たに良い人材が集まる、という好循環を生めるのではないかと考えます。また、記者・編集者がブランディング活動を活発に行うことで、記者・編集者が所属する会社の人間性が見えるようになり、その結果会社のイメージを良くする効果も期待できます。本来、記者・編集者は自分自身でセルフブランディング力を向上させた上で、独自にブランドを確立していかなければならないのですが、これを企業がバックアップする事で、先の「好循環」を促進し、さらには「人材流出の危険性を下げる」「優秀な人材を惹きつける」そして「マスメディア企業に対するネガティブなイメージを低減する」といった非常に大きなプラス効果をもたらすものと考えます。

先日の記事でも少し触れましたが、残念ながら今後マスメディア企業の収益率回復はあまり望めません。いずれ社員の給料にも手を付けざるを得なくなるでしょう。しかし給料を下げ始めると優秀な記者・編集者から順に辞め、優秀な人材も確保できず、ますますジリ貧に陥る事が想定されます。どれほど楽しい仕事・やりがいのある仕事を提供したとしても、その効果は限定的でしょう。こうした状況の中、マスメディア企業は、記者のセルフブランディングを支援する、という施策を打ってみてはいかがでしょか。

私が考える、比較的容易に、そして今直ぐ実現可能な記者・編集者のセルフブランディング支援の方法を提示しておきます。
  1. 記者・編集者のツイッターアカウント開設及びブログ開設を支援する
  2. 自社ニュースサイトに掲載する記事を署名入りとし、ツイッターアカウントを持つ記者・編集者の記事についてはその記者・編集者のツイッターアカウントにリンクを張る
  3. 自社ニュースサイトに記者紹介ページを用意し、記者別・編集者別に、その記者・編集者が作成した記事の一覧を表示するようにする。また、そこから当該記者・編集者のブログ、及びツイッターアカウントへのリンクを張る
面白そうなんですけどね…自社でも何とか実現したいものです。

2010年4月14日水曜日

盲信の罪、メディアリテラシの必要性

メディアリテラシについてはブログを始めて以来ずっと書きたかったのですが、これまでは自分の中で考えがまとまらず、なかなか踏み出せずにいました。しかし昨日の @smashmedia さんのブログ記事『「ツイッターを疑え!」を疑え』である程度ピースが揃いましたので、少しまとめてみたいと思います。

今月1日、DAYS JAPAN 主催のイベント「ユダヤ人の起源-歴史はどのように創作されたのか」に参加しました。本イベントは書籍「ユダヤ人の起源」の出版を記念するものですが、ここで東京大学の板垣雄三氏による非常に興味深い講演がありました。氏は日本人のメディアリテラシの低さについて次のように言及されていました。
  • 長年テレビ・新聞を初めとしたマスコミはイスラエル-パレスチナ問題について間違った報道を繰り返してきた
  • そのせいもあって多くの日本人は今もイスラエル-パレスチナ問題に対して誤った見方をしている
  • (太平洋戦争の例を挙げて)日本人は歴史的にだまされやすい民族であることは歴史が証明している
  • そして今もまた沖縄の問題において同じことが繰り返されている
氏は続けて、こうした恒常的にメディアリテラシの低い状況から日本人が抜け出すには、我々個人々々が次の3点を常に心がけることが大切であると仰いました。
  1. メディアによって作られた常識を疑う目を持つ
  2. 組織によって仕組まれた虚構を見破る直感力を養う
  3. 弱きを助け強きを挫く勇気を持つ
これを聴いたとき、私は強い共感を覚えました。しかし、それと同時にどれも自分には欠けていることにも気付きました。つまりメディアリテラシの低さを痛感したのです。氏は「盲信は罪」と仰いました。盲信によって取り返しの付かない事態に陥ることもある、と。それではどうすればメディアリテラシを高められるのでしょうか?

私は一つの事象に対する多様な意見に触れることも一つの訓練になるのでは、と考えています。近年我々は、ソーシャルメディアの普及に伴いツイッターやブログ、SNSを通じて様々な意見に直接触れられるようになりました。こうした環境を「上手く」利用することで、我々はメディアリテラシを少しでも高められるのではないでしょうか。

先日、「ソトコト」という雑誌において非常に興味深い取り組みがありました。雑誌の記事に対する意見をツイッターで募る、というものです。
メディアリテラシの向上は情報の受け手の責任ですが、情報の出し手にも同じように責任があります。私は「ソトコト」が実施したようなこうした取り組みは、メディアリテラシの向上にも寄与すると考えます。是非他のメディア媒体でも実施して欲しいところです。

ところで海外では教育によってメディアリテラシを高める動きがあります。特にイギリスとカナダではかなり進んでいるようです。これらの国々では官民一体となってメディアリテラシの向上について様々な取り組みがなされています。、例えば、実際にCMや新聞制作を体験させて作り手の考えを身につけさせたり、街中に実際にある広告を分析させたり、といったメディアリテラシを高めるための野心的なプログラムを初等教育や中等教育に組み込んでいる地域もあります。なお、こうした海外の取り組みの詳細については次の書籍が参考になると思います。
翻って日本に目を向けると…残念ながら日本でのメディアリテラシ教育の取り組みについて、私は殆ど聞いた事がありません(もし何か先進的な事例をご存知の方がいらっしゃれば是非ご教授下さい)。日本人が同じ過ちを繰り返さないためにも、幼いうちからのメディアリテラシ教育の普及は急務であると考えます。

最後に、「メディアによって作られた常識」や「組織によって仕組まれた虚構」については、次の書籍が参考なると思います。是非読んでみて下さい。
板垣雄三氏の「盲信は罪」という言葉を重く捉え、そして氏の3つの提言を心に留め、これからはメディアリテラシを養っていきたいと思います。

2010年4月13日火曜日

記者職の方々へ、ご提案

激動のマスメディア業界。日本人のマスメディア離れは着々と進み、広告収入は激減、高コスト体質も相まって、マスメディア企業はもうどうなるか分かりません(私はある程度覚悟しています)。とは言え、周りに煽られ心配ばかりしていても仕方が無いので具体的に自衛策を講じてみてはいかがでしょうか?という「ご提案」が本記事の趣旨です。

記者職に就かれている方々に対して、私は次の3つのスキルの研磨をご提案致します。
  1. ソーシャルメディア適応力
  2. IT適応力
  3. セルフブランディング力
    従来マスメディアが情報流通のメインストリームから外れる中、一方ではネットメディアの存在感が日増しに大きくなっています。ここで「情報の発信」を生業としている記者は、当然ネットメディアを理解し、さらには情報流通の現状を知る必要があるものと考えます。そしてここで必要となるスキルが「ソーシャルメディア適応力」です。現在、情報流通の中心になりつつあるのがツイッターやブログといったソーシャルメディアに他なりません。現時点ではソーシャルメディアの利用者数は全体から見ればまだまだ少数派ですが、数年後には間違いなくこれが多数派になります。つまり、記者が情報流通の現状を把握し、今後を見通すためにはソーシャルメディアを使いこなす必要があるのです。

    次にIT適応力。昨今、テクノロジーの進歩によって便利なWEB上のサービスが次々とコモディティ化(しかもフリー)、誰もがちょっとした工夫で格段の作業効率向上を臨めるようにもなってきました。このことは記者にも当て嵌まります。テクノロジーをある程度理解し、様々なWEB上のサービスを使いこなせるか否かで、生産性に大きな差がついてしまうのです。

    私が「IT適応力」そして「ソーシャルメディア適応力」が非常に優れているなと感心した記者の方がソウルにいらっしゃいました。次の記事を是非一度読んでみて下さい。
    最後にもう一つ欠かせないスキル、それが「セルフブランディング力」です。セルフブランディングとは佐々木俊尚氏(@sasakitoshinao)が「ネットがあれば履歴書はいらない」という書籍の中で提唱されている概念で、詳細については以下の記事がとても参考になります。
    記者という職業はセルフブランディングによる恩恵を大きく受けるものと私は考えています。セルフブランディングによってある程度以上の知名度を獲得しておくことで、アルバイト原稿、いわゆるアル原をいくらでも書けるようになりますし、そして何よりも「給料が半額になっても、最悪会社がつぶれたとしてもなんとかなる」という自信を間違いなく付ける事ができると考えます。そしてこの自信があることで、普段の仕事に余裕を持って取り組めるようになる…これはとても大きな効果です。

    さて、本記事では「ソーシャルメディア適応力」「IT適応力」そして「セルフブランディング力」について簡単に説明しました。これらを一気に習得するのは誰にとっても非常に困難なことだと思います。まずはソーシャルメディアを難なく利用できるくらいのITスキルを身に付けた上で、ソーシャルメディア、特にツイッターとブログを初めてみてはいかがでしょうか。ソーシャルメディアで多くの人と繋がるようになれば、「IT適応力」も「セルフブランディング力」も自然についてくるものと、私は考えます。

    …ここまで書いて気付きました。この記事を読んで欲しい人に、この記事は届かない(辿り着かない)ような気が…

    2010年4月11日日曜日

    「無関心という罪」

    最近めっきり使わなくなってしまったミクシィアカウントを整理しようと久しぶりにログイン。と、ここで3年前に自分が投稿した日記に目が留まりました。
    [投稿先] ミクシィ
    [投稿日] 2007年03月06日

    # 無関心という罪

    こうした話題は正直どう触れたら良いのか全くわからない。

    週末に吉見義明氏が著した「従軍慰安婦」という本を読んだ。

    僕にとっては衝撃的な内容だった。
    とても理論的に展開されており、参考文献にも信憑性がある。
    気になってWikipediaも調べてみた。
    その他特に調べたわけではないけれど、この本を読む限り、
    「従軍慰安婦は日本国家が組織的に行っていた」事は明白で、
    全く疑う余地がない。

    何が真実で、何が嘘なのか。
    何が明らかで、何が隠されているのか。

    今日、首相は国会答弁で、従軍慰安婦について、
    よく意味の分からない発言をしていた。
    「よく意味の分からない発言」だと気付く事ができた。

    これまで日本はアジアの国々に対して
    謝罪とその撤回を何度も繰り返してきた。
    真実は?

    やはり知る事は大事だ。
    そして自分で考える力。

    自分の無知が恥ずかしい。
    まずは知る事から始めよう。
    これは今の自分の原動力となっている思考です。3年前の自分に活を入れられ、久しぶりに初心に返った気がしました。原点回帰、今日からまた頑張れそうです。

    2010年4月8日木曜日

    報道の使命

    報道、あるいはジャーナリズムは何のために存在するのか?私は究極的には「人を動かすこと」だと考えます。「人を動かす」とは、人の心を動かし、行動に結び付ける、ということです。例えば…
    • 面白いと思い、誰かに伝える
    • 今直ぐ何かできる事は無いかと思い、寄付をする
    • 苦しんでいる人を助けたいと思い、ボランティアに参加する
    • 世の中の役に立ちたいと思い、資格取得の勉強を始める
    • 世の中を変えたいと思い、社会起業を目指す
    • 問題を認識し、議論する
    • 感動し、明日の活力とする
    報道は人の心に働きかけ、「自分にも何かが出来る」と思わせる必要がある、これが私の考えです。

    果たして今の報道は人を動かしているでしょうか?単に垂れ流すだけの報道に終始してはいないでしょうか?全ては他人事だと思わせるような内容を報道してはいないでしょうか?

    全ての報道が悪いとは言いません。しかし私は、今の多くの日本人の無関心、そして多くの日本人が持つ閉塞感を作り出したその過程において、「人を動かすことができなかった」報道がその片棒を担いできたのではないかと考えます。

    報道により誰もが「何かに貢献できる事」あるいは「何かを目指せる事」「何かを変える事」「何かを解決できる事」に気付き、そして行動を起こす。これが私の理想とする報道です。そして今、テクノロジーの進化と、ソーシャルメディアを通した人の結び付きによって、この理想を実現するための環境は整いつつあると感じています。

    しかし、単に報道プロセスや報道内容をイノベートするだけでは足りません。受け手の「報道されたことに対する見方」や「複数の報道された事実あるいは報道されていない事実から真実を見抜く力」といったメディアリテラシの育成にも同時に取り組まなければならないと考えます。

    心が動かされる報道が増えれば、人々は報道に対してもっと価値を見出すようになるはずです。そしてその結果、日本は良い方向に変わる。報道はそれだけのポテンシャルを秘めていると、私は考えます。

    2010年4月7日水曜日

    キュレーターの条件

    佐々木俊尚氏(@sasakitoshinao)が4月4日にTweetされていたキュレーションに関する英文記事からキュレーションの肝、すなわちキュレーターにとって大切なことが見えてきます。私が捉えた「キュレーションの肝」は次の通りです。
    自分にとって魅力的なコンテンツを提供してくれる可能性のある人を押さえつつ、常に自分の好奇心の範囲を広げること。
    すなわち良いキュレーターになるためには、「良い情報の出し手(≒ブロガーやTwitterアカウント)を知っていること」そして「好奇心を持ち続けること」が必須条件と言えそうです。

    以下に和訳全文を掲載しておきます。相変わらずの超訳で恐縮ですが、誤訳を発見されましたら、是非ご指摘下さい。皆様のキュレーション理解の一助となれば幸いです。

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    [元記事] ‘Controlled Serendipity’ Liberates the Web

    # コントロールされたセレンディピティはWebを開放する

    <セレンディピティ:別のものを探しているときに、偶然に素晴らしい幸運に巡り合ったり、素晴らしいものを発見したりすることのできる、その人の持つ才能。>

    私はブログ記事を書き終わった後、<ブログ記事の更新を通知するために>Tweetする。

    ブログ記事のURLをコピーし、数分で書き上げたブログ記事の要約文と共にTweetする。続いてFacebookで同様の作業をする。

    次いでWebで記事を探し回り、友達やフォロワーと面白い記事をシェアする…これが私の日常だ。私は毎日多くの時間を、テクノロジーや一般ニュース、ジャーナリズム、デザイン、最新のアニメ動画といった私の興味に沿った記事の探索に費やしている。

    我々の多くは同じような事をやっている。我々はもはやコンテンツの消費者ではなく、コンテンツのキュレーターとなった。

    もし誰かが5年前に、私が近い将来コンテンツを無料でフィルタリングし、収集し、そして共有するようになる、と言って来たら私は当惑しただろう。しかし今ではフィルタリングもせず、収集もせず、そして共有もしない生活など想像できない。

    より重要なのは、私はもはや他の人からの助け<推奨記事へのリンクの提示>無しに記事や情報を得ることなど考えられない、という事だ。

    例えばシリコンバレーのベンチャー企業でエンジニア・マネージャーを勤めている Atul Arora は毎日2~3時間をテクノロジー関連のブログ記事や一般記事の探索に費やしている。毎日 Arora は15個程度のテクノロジーに関連する最新記事をTweetしている。以前私は彼に対して何故そのようなことをやっているのか聞いた事がある。そのときの彼の答えがこれだ。「以前は同じ時間を新聞や雑誌、本を読むことに費やしていた。今はその代わりにオンラインニュースを読み、そして共有している<これまでは読むことだけに費やしていた時間を、読むことと共有することに費やしている>。」

    もう一人の事例は Maria Popova だ。彼女はキュレーションを「コントロールされたセレンディピティ」と呼ぶ。彼女は数千の人に対して、彼女の好奇心を満たす情報のフィルタリング結果を提供している。

    Popova は毎日細心の注意を払って、自分でキュレートしたWebサイトあるいはTwitterでフォローしている人達のTweetから最高に面白い情報を探し出す。「私は全てをくまなく探す。だからセレンディピティなのだ。バックボーンをキュレートする、これが本質的な'メタ・キュレーション'だと考える<自分が情報を取得するためのWebサイトやTwitterアカウントを編成しておくことがキュレーションのキュレーション、すなわちメタ・キュレーション>。そしてその一方で自由に自分の興味の触手を伸ばす。これが最高のやり方だと自負している。<すなわち、メタ・キュレーションを構築しつつ、常にあらゆる事に好奇心を向けるのが肝>

    人々が興味のある動画や記事を見つけた際、誰かと共有することは条件反射的な行動となっている。素晴らしいコンテンツが口コミで広がっていくことは、さほど新しいことではない。しかし考え方を共有することはもはや限定的な事ではなくなった。規模の大小の差はあれど、我々はオンライン上で摂取する全ての情報を共有する。

    Betaworks、そしてURL短縮サービス Bit.ly のCEOである John Borthwick は次のように言う「毎月多くの人々がソーシャルメディア、あるいはメールからURL短縮サービスを利用している。先週は一週間で599,100,000回利用された。これは2008年にサービスを開始して以来の最高記録だ。」

    多くのコンテンツが生み出される中、Webサーフィンはより大変になってきた。そして我々は新しいコンテンツやサービスを見つけたときに自問自答する。「私はこのリンクをクリックして地震に関する最新のニュースを読むべきか?」「毎日どのくらいのブログをチェックすべきか?」「何か見逃したものはないか?」「全てのコメントも読むか?」「いつ、どのソーシャルメディアを更新すれば良いのか?」

    しかし我々はこうした問題に対し、アグリゲーションを通して答えを見出しつつある。我々は「コントロールされたセレンディピティ」を共有することで、重要なものを見過ごす可能性を小さくしてきた。そしてこうした社会的な仕組み無しに、日々世界中で生み出される膨大なコンテンツに相対することなど、想像することはできない。

    我々は今や皆が人間アグリゲーターと言える。
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    2010年4月5日月曜日

    マスメディア企業の記者・編集者がTwitterの世界に飛び込む理由

    乗りかかった船、あるいはキュレーションについてさらに理解を深められればと考え、前回に引き続き今回の記事も佐々木氏(@sasakitoshinao)がTwitter上で紹介されていたキュレーションに関する英文記事からです。本記事に関する佐々木氏のTweetは次の通り。
    6:17 AM Apr 4th
    Twitterキュレーション。「Twitterが新聞朝刊の一面みたいなものに。フォローしている友人が、Twitter新聞の編集者になっているんだ」。 http://to.pbs.org/d3CUX8

    6:27 AM Apr 4th
    Twitter新聞化続き。情報のフィルタリングは、1)はてブのような集合知アルゴリズム、2)ヤフトピのような人間の編集によるアグリゲーションの2方向があったが、これに加えて、個人のキュレーションによるフィルタリングが第3の道として。

    6:29 AM Apr 4th
    Twitter新聞続き。「ブログによってわれわれは全員が批評家になった。タンブラーでわれわれは全員がキュレーターになる」。なるほど。
    本記事のポイントは次の通りです。
    • 我々にとって情報過多は問題ではなく、我々の情報フィルタに問題がある
    • 専門家集団やアルゴリズムによってキュレートされた情報を集約するレコメンデーションサイトですら、情報フィルタとしては役不足
    • 一方でTwitterは、その利用者にとって朝刊一面の役割を果たすようになった
    • すなわち、自分が読むべき記事に対する、コメント付きのリンクをTweetしてくれる個人が、機能的な情報フィルタとなる
    筆者にとってのキュレーターは「顔の見えない組織では無く、個人」と述べています。確かに私もTwitterでは企業アカウントがTweetしたリンク記事よりも、私が信頼あるいは尊敬する個人がTweetしたリンク記事をはるかに多く読みます。最近はYahooやGoogleNewsですら、殆どアクセスすることが無くなりました。こうした流れについては次の記事も参考になります。
    さてここで日本のマスメディア企業について考えてみます。日本のマスメディア企業からは記者や編集者の顔が見えずらい、という印象を私は持っています。日本のマスメディア企業が展開する各メディアにおいてはまだまだ非署名記事が多く、Twitter上には日本のマスメディア企業に所属する記者・編集者の参加がまだまだ少ない、というのがその理由です。これは、「個人キュレーターが育っていない」と言い換える事ができます。従って、仮に本記事にあるような情報摂取方法が主流になった場合(現時点のTwitterの利用者数を考えると、まだ主流であるとは言えません)、日本のマスメディア企業は更なる苦境に立たされるのは火を見るよりも明らかです。そしてそうなる可能性は非常に高い…

    ではどうすれば良いのか?答えはもう出ています。

    日本のマスメディア企業は今からでもキュレーターを育てるしかありません。そしてそのためにも、記者・編集者の方がTwitterを初めとするソーシャルメディアの世界に飛び込むしかありません。私は担当する仕事は異なりますが、中の人として切に願います。記者・編集者の方がブログやTwitterに企業の名前を背負って参加するする事で、マスメディア企業にとっても、参加する当人にとっても(そしてもしかしたら日本のジャーナリズムにとっても)、必ず得るものがあるはずです。

    最後に和訳全文を掲載しておきます。相変わらず超訳となっています。誤訳を発見されましたら、是非ご指摘下さい。

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    [元記事] Our Friends Become Curators of Twitter-Based News

    # 友達がTwitter上の記事のキュレータとなる

    私は話す前に聞くのが好きだ。そして毎朝何かを書く前に何かを読んでいる。さて、私は毎朝どこにある何を読んでいるのか?

    私は昨年、次のような話を良く耳にした。「我々の問題は情報過多ではない。情報のフィルタにこそ問題がある。そう、我々は読むべきものと読む必要の無いものを見分けなければならない。」

    評論家は StumbleUponDiggRedditNewsTrusDelicious といったレコメンデーションサイトを情報のフィルタリングに利用できる、と言う。

    これらアルゴリズムベースの自動サービスの中には、True/SlantThe Daily BeastGlobal VoicesHuffington PostGlobal Post といった、人間によってキュレートされたサイトから記事を収集しているものもあるだろう。

    しかし私は、記事を見るためにこうしたレコメンデーションサイトや人間が作成したサイトに直接アクセスすることは、徐々にしなくなっている。私は今でもいくつかのブログ、及び NYTimes.com はチェックするようにしている。しかし、私がここ数日読んでいる記事の殆どは、Twitterからのリンクだ。ここ最近、TwitterにTweetされる内容は、食べたものや居場所といった発信者の日々の行動から、発信者が興味を持った記事に対するコメント付きのリンクへとシフトしてきている。これは、Twitterが我々にとって朝刊の一面になりつつある、とも言える。すなわち、自分を取材する側の人間(フォロワー)は友達となり、友達(自分がフォローしている人)が自分にとってのTwitter新聞の編集者となる。

    「Twitterによる記事や興味対象のキュレーション」については賛否両論だ。リツイート機能はフォロワーに記事を広める。Follow Friday のようなTwitter上の文化によって自分と同じ興味を持つ個人を探せる。ハッシュタグによって特定のトピックやイベントについて議論できる。

    しかし恐らく、Twitter以上にフラストレーションの溜まるアーカイブはそうは無いだろう。今日Tweetした内容は、明日にはもう見えなくなってしまう。そして、10日以上前のTweetは検索出来ず、忘れ去れてしまう…

    キュレーション・ツールとしてのTwitterは、プロのキュレーターになる助けとなる。ロスを拠点としているブルガリアの首都 Sofia 出身の Maria Popova は自分自身を「カルチャーに関するキュレーターで、幅広い好奇心の持ち主」と説明する。彼女は2007年に高校を卒業すると "curating eclectic interestingness from culture's collective brain" という名のブログを立ち上げ、そして収入を得るための方法を試すように、自分が興味を持ったサイトへのリンクをTwitterでTweetし始めた。Maria は Nick Bilton によって "we are all human aggregators now" という New York Times の記事で特集され、時の人となった。加えて TBWA/Chiat/Day での仕事では、TEDGood Magazine、そして Wired UK でそのキュレーションの技術を発揮した。

    昨年まで我々は、情報フィルタリングの問題点を、アルゴリズムの改善(Digg や StumpleUpon)、あるいは人の手による編集(Huffington Post や Global Voice)、によって解決可能だと考えていた。しかし我々の多くは、Popova や Gina TrapaniAndrew Sullivan といった才能を持った個人キュレータにより依存するようになった。

    2005年、ブログは我々を、様々な分野に対して意見を述べる専門家に変えた。そして5年後、Marisa Meltzer が The American Prospect で述べたように、Tumblrによって我々は皆、批評よりもキュレーションに対して、多くの興味を持つようになった。

    昨年の多くの会議におけるテーマが「情報フィルタリング」であったとしたら、今年の会議のテーマは「オンライン・キュレーション」となるだろう。会議の主催者 Robert Scoble は最近「キュレーション」という言葉を多く聞く、と語る。2009年に開催されたSXSWでは「キュレーション」が会議のメインテーマとなった。

    個人キュレーターに関するこうした議論は、記事収集の未来について考えさせられる。例えば誰かが Global Voices あるいは Daily Beast を訪れたとしよう。彼/彼女は全ての記事を見るためにそのサイトを訪れたのだろうか?あるいは彼/彼女が信頼する特定のライターや編集者の記事を読みにきたのだろうか?

    私個人は、Jeffrey Goldberg そして Graeme Wood の記事を読むために The Atlantic を訪れる。私が Foreign Policy を訪れるのは、Joshua Keating、Evgeny Morozov、そして Marc Lynch の最新記事を読むためだ。私は TechCrunch には全く興味は無い。しかし Paul Carr の最新記事はチェックしている。

    特定の個人から紹介された記事ばかりを読み、そして特定の個人から多くの影響を受ける私は、もしかしたら変わり者かもしれない。しかし私は、こうしたトレンドは一般的なものであると感じている。我々が日常的に摂取している記事のキュレートは、組織では無く、個人に対してより依存するようになってきている。
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    2010年4月2日金曜日

    キュレーションはメディアを救えるか?

    一昨日、ITジャーナリストの佐々木俊尚(@sasakitoshinao)氏が「キューレーション」というものについてTweetされていました。
    3:20 PM Mar 31st
    電子書籍にしろ報道にしろ、情報がオープン化していく時代においては情報を握っていることではなく、情報をどうキュレーションできるかが最大の強みとなる。これ今後のメディアの基本原則のひとつだと考えています。

    3:23 PM Mar 31st
    正直に言うとここ数か月、私がTwitterに精を出しているのも、情報のキュレーションをどこまで追及できるかという実践的試みの意味があったりしています。

    3:42 PM Mar 31st
    キュレーションは情報を収集し、選別し、意味づけを与えて、それをみんなと共有することです。参照:http://www.businessinsider.com/can-curation-save-media-2009-4
    この中でキュレーションに関する英文記事へのリンクが張られていたのですが、この記事の内容が非常に興味深いものでした。記事の概要は次の通りです。
    • 今や誰もがコンテンツの制作者になれる
    • インターネットには玉石混合様々なコンテンツが溢れるようになった
    • その結果本当に必要な情報を手に入れるのが難しくなっている(単なるアグリゲーションはもはや意味を無さなくなった)
    • このような状況で最も必要とされるのが信頼のある企業(マスメディア企業)によるキュレーション、すなわちコンテンツの「収集」「選別」「意味付け」「共有」だ
    • そして「キューレーション」こそがマスメディア企業復興の鍵となる
    • 米国には既にキュレーションで成功している事例もある
    博物館業界には「キュレーター」という職業がありますが、この概念をメディア業界に適用したものだと考えます。ウィキペディアのキュレーターの定義(2010年04月02日現在)には次のようにあります。
    キュレーターとは

    欧米の博物館(美術館含む)、図書館、公文書館のような資料蓄積型文化施設において、施設の収集する資料に関する鑑定や研究を行い、学術的専門知識をもって業務の管理監督を行う専門職、管理職を指す。

    現代美術のキュレーター

    現代美術の世界においては、キュレーターは展覧会の企画者としての業務が重要である。これは現代美術に携わる現役のアーティストの社会との接点が主として展覧会であり、現代美術と社会の橋渡しをする存在としてキュレーターが重要な位置を占めるからでもある。キュレーターの仕事は、展覧会のテーマを考え、参加アーティストやアート作品を選択し、しかるべき展示会場に、好ましい効果を発揮するようにアート作品を設置し、カタログに文章を執筆することなどである。
    メディア業界におけるキュレーションは「編集者が、自身が担当するメディア(ウェブサイト)のテーマを考え、コンテンツの制作者やブロガーを選択し、しかるべき場所に、好ましい効果を発揮するようにコンテンツを配置し、解説文などで補足すること」と言い換える事ができそうです。

    私は以前から同様の考えを持っていたため、「キュレーション」という概念は非常にしっくりきました。そして佐々木氏が仰るように、マスメディア企業は一刻も早くこの「キュレーション」に取り組むべきだと考えます。

    以下、本記事の全訳を掲載しておきます。シドニー・シェルダン並みの超訳となっている箇所もありますがご容赦下さい。誤訳を発見されましたらご連絡いただけると助かります。

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    [元記事] Can 'Curation' Save Media?

    # キュレーションはメディアを救えるか?

    WEB上で「読む」「観る」「共有する」ことについて、規模の大小に拘らずメディア企業にとって非常に良いきざしがある。キュレーションだ。

    メディアについてポジティブな事を言うのはそれほど一般的ではない。今起きている変化は実用的、必然的なもので、編集作業がとりあえず楽になっただけに過ぎず、今もなお旧メディアにとっては厳しい日々が続いている。しかし、未来はすぐそこまで来ている。

    メディア企業はまず過去から脈々と続く配信・配送の仕組を廃棄しなければならない。新聞と雑誌は双方とも大きさや形、紙の質感と結びついている。きらきらとした雑誌の質感に対してざらざらとした新聞の質感…こうした相違点はデジタルの世界には存在しない。元 Time Inc. Ventures の編集者兼主任、現在は Readers Digest のCEO兼社長である Eric Schrier 氏は次の様に言う。「私はこれまで、雑誌ビジネスは雑誌社をコンテンツ会社と捉え直すことで、新しい環境でも生き残り繁栄するだろう、と言い続けてきた。」

    コンテンツがデジタル形式でいつでもどこにでも配信される世界では、雑誌社、テレビ局、本の販売元、そして一般利用者はみな等しく情報配信プラットフォームとしてのWEBにアクセスできる。ブランドや広告会社も同様だ。実は旧メディアの創始者達は、「メディアをスポンサーからの広告費で運営する」ビジネスモデルにおいて、等しく良いポジションに居る。「広告からPR、ダイレクトマーケティングからプロモーションに至るまで、デジタルは我々の行動全てに関与している。」とはOgilvy Digital のCEO Jean-Philippe Maheuの言。

    ここで Maheu と Schrier の共通点がキュレーションだ。

    キュレーションは、メディアの敵とみなされている二大トレンド、すなわち「数千のユビキタスなコンテンツ配信」及び「一般の人々によるコンテンツ作成」を克服するために、過去12カ月で大きな影響を持った言葉だ。

    旧い形態の配信は対マス向けであった。しかし新しい形態の配信は対少数向けだ。すなわち、無数のコンテンツが作成され、そしてそれらコンテンツの大多数は少数の人の興味しか惹かない、という事だ。しかしここには、関係性も無くばらばらなコンテンツとともに、発見され、整理され、広告が付くような、関連性を持った素材もある。

    メディアで働く専門家にとって、キュレーションが新たな役割となる。

    最も重要なのは、編集作業に重きを置き、コンテンツの探索に時間を費やす事は望まない人々に対し、クオリティの高いコンテンツのコレクションを与えることだ。これは我々がメディアに対して期待することで、そしてメディアはそれをより良く実践するためのツールを既に持っている。

    そう、メディアの未来はより良いもので、決して悪いものではない。

    例えば The Readers Digest Association (RDA) は食べ物のカテゴリを扱っている。RDA は休日の食事及び日々の家族向けの晩御飯を料理するミドル世代をターゲットとした TasteofHome.com というサイトを保有している。彼らは彼らの読者の味覚、そして予算を知っている。以前 Tast Of Home は毎週何本かの動画を制作、合計200本を制作してきた。しかしそれだけは足りなかった。現在、彼らは品質の高い2800本の動画を所有しているが、彼らはこれら全てを制作したわけではない。彼らはキュレートしたのだ(www.videos.tasteofhome.com を参照)。

    キュレーションはアグリゲーションに近い意味を持つ。アグリゲーションは「集める」ことで、例えば "Easter Supper" という言葉で動画を見つけるようなものだ。しかし、誰もが携帯電話で、動画を始め様々なコンテンツの制作が可能になってしまい、コンテンツは溢れ、もはや集める事には価値は無くなった。アグリゲーションはアグリゲーションでしかないのだ。

    Arianna Huffington は早期のキュレータだ。'Huffington Post' の編集チームは、彼女らのHPに掲載するトピックを選び出す。彼女らはジャーナリステックな編集作業において、ブログやウェブサイトから最適なコンテンツを選び出す作業を実施している。Michael Wolff の 'Newser' も同様だ。恐らくキュレータの第一人者は 'The Drudge Report' の Matt Drudge だろう。

    今日、キュレーションは多くの編集チームにとって中心的なものとなっている。The New York Times は外部からブログ記事をキュレートしている。そして Times は彼らが彼らのブランドでコンテンツを評価し再配信することが、読者及びコンテンツの作り手にとって、より価値のあることだということを知っている。

    キュレーションは、ブランドと配信に力を再び与える。だれもがコンテンツの制作者となり得る現在、信頼されているコンテンツ制作者によるコンテンツの収集及び提供はリスクを伴うため、より価値がある。

    動画のトレンドはUGV(user-generated video / ユーザが制作した動画)からCVC(curated video content / キュレートされた動画)に向かう。

    ここで、休暇でユタ州の Park City に行く事を計画しているSmith一家について考えてみよう。彼らは YouTube で動画を見る事ができる。しかし目的の動画を探す中で、大量のスパム動画に晒される。中には危険な動画もある。しかし、スキー雑誌、もしくは Park City Resort がSmith一家に提供する動画にはこうした心配が無い。ここにキュレーションがある。

    目的に合致した形で集められ提示されるコンテンツ。スキー雑誌がキュレートした Park City に関するコンテンツ群には、異なる趣旨、異なるコンテンツが存在するだろう。Ogilvy の Maheu は次のように言う。「近い将来日常的になる新たなマーケティングチャネル、これを通してブランドを形成する新たな機会として捉え、このビジネス(キュレーション)に参入する…これは非常にエキサイティングだ。私は、広告主がコンテンツが持つメッセージをより効果的にすることで、Curated Video Content に対する新たなニーズが産まれるものと考える。」

    キュレーション経済の出現は信頼された情報源に対するより大きなニーズを創造し、そして Schrier のアドバイスを聞き入れたメディア企業は、シングル・メディア・プラットフォームからマルチ・メディア・プラットフォームに迅速に進化する事ができる。しかし、そのインパクトはとても大きい。既に私の会社 Magnify.net は52,000ものキュレートされた動画のチャンネルを持つ。メディア企業は彼らのキュレーションのソリューションを Magnify.net 上に見出しており、電子商取引の会社と共に参入し、ブランドや新たな複合コンテンツ群を構築し始めている。

    Taste of Home、New York Magazine、Jones Soda、Zappos.tv、そして Bicycling Magazine。これらはみなコンテンツのキュレーションを将来の編集の鍵だとみなしている。コンテンツの制作者がプロフェッショナルから一般の人たちに広がる中、信頼できるコンテンツの集合は重要になってきている。

    キューレートされたマイクロメディアの例を www.Droideo.com に見る事ができる。これは Google Android に関する Google Android ユーザのためサイトだ。このサイトは3500のユーザを抱え、Android に関する最高の動画を保有する。サイトのオーナーはキュレートに細心の注意を払い、そして訪問者は、洗練され、自身の興味にフォーカスされた関連性の高いコンテンツを見るために毎日訪れる。これが私にとってのメディアだ。
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