2011年6月7日火曜日

情報発信者の役割と責任について考える

先週土曜日(6月4日)に参加した日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ:Japan Center of Education for Journalist)が主催するワークショップ「震災報道と一人称のジャーナリズム」は、「伝わる情報とはどのようなものか?」そして「情報を伝える側が果たすべき責任とは?」について考える貴重な機会となりました。少々敷居の高い問題ですが、震災報道が落ち着きつつある今だからこそ、改めて考えてみても良いかもしれません。


本ワークショップの講演者の一人、河北新報の記者・寺島さんは、一新聞記者、そして一被災者として被災地を取材、新聞記事を書く傍ら、新聞記事では伝えきれないものをご自身のブログに掲載されています。ワークショップの参加者は事前にこれらを読み比べ、感想を寄せていましたが、同じ題材を扱っているにも関わらず多くの方が「新聞記事よりもブログ記事の方が伝わってくる」としていました。ワークショップでは、この違いがどこからくるのか、活発な議論が展開されました。みなさんはどのように感じられるでしょうか。


ソーシャルメディアが浸透しつつある中で発生した東日本大震災では、多くの人が情報の受け手であったと同時に、情報の出し手ともなりました(ブログやツイッター、フェイスブックを通じて少ないながらも情報を発信していた私も例外ではありません)。その中で、少々大げさかもしれませんが、例えば「一本の記事、一回のリツイートが、一つのコミュニティを破壊するかもしれない」と考え、慎重に発信した人はどれほど居たのでしょうか。残念ながら私はそこまで考える事ができていませんでした。

ディスカッションでは「個人レベルで信頼できる情報を発信するには、自由に参照可能な確かな一次情報(FACT/DATA)がもっと必要なのではないか」といった意見が出ていました。

ソーシャルメディアは人命救助や被災地支援において有効に働いた半面、多くのデマの温床となった一面もありました。また、ネットでは有る程度センセーショナルな記事にすることがアクセス数を稼ぐための常套手段とされていることから、かなりきわどい記事が多かった事も否めません。今以上にソーシャルメディアを有効に活用するためにも、情報を発信する側が果たす責任について、もっと踏み込んで考えてみたいところです。

ワークショップではこのほか、「復興計画立案におけるマスメディアや学会の役割」「震災報道における全国紙、地方紙、海外メディアそれぞれの役割」「河北新報がソーシャルメディアを利用するに至った背景」などについて議論がなされました。

ワークショップでは「被災した地方紙の記者」そして「震災報道をつぶさに見てきて全国紙の記者」の視点から講演がありましたが、最後に要旨をまとめておきます。「伝わる情報とはどのようなものか?」そして「情報を伝える側が果たすべき責任とは?」。みなさんも考えてみてはいかがでしょうか。

被災した地方紙の記者(河北新報・寺島氏)


  • 震災被害に直に向き合う未曾有の体験だった。
  • 震災直後は社員とその家族の安否確認を最優先し、取材に向かえる記者を確保する一方、新聞を刷るために必要な紙や重油などの物資や、販売経路の確保に走り回った。
  • 被災地に取材に行ってみると、そこはまるで焼け野原のようになっており、何が現実なのか、何を書けば良いのかわからなかった。そしてその中で、ひとつひとつ、被害の全体像を把握するためのピースを集めていった。
  • 地元の記者は津波に飲み込まれる前の町の様子を知っている。その町が無くなった事実を伝えたかった。
  • 被災者がどのような情報を求めているのか、考え続けた。
  • 紙の新聞にこだわらず、ウェブサイト、SNS、ツイッターなど、様々なツールを利用し、情報を発信し続けた。ブロガーにも協力を依頼した。SNSやツイッターで市民が必要としている情報を読者から直接集めた。新聞社のメディアが「紙の新聞だけ」というのは過去の話。市民と繋がるメディアを手にした。
  • 記者が作った物語ではなく、市民が語った物語を記録したいと考え、新聞では伝えきれない部分をブログに書くようになった。
  • 地元の新聞社が復興にどう関わっていけるのか考えていく。過去の震災から得られた教訓を生かしたい。

震災報道をつぶさに見てきて全国紙の記者


  • 別の取材があったため震災の取材には参加しなかった。しかしその分、新聞、テレビ、ネットで展開された震災報道を客観的に見ることができた。
  • 震災直後、取材現場はテクノロジーの限界に直面していた。電気が無いと取材は難しい。
  • ネットでは予定調和的なものをやぶる記事にアクセスが集まっていた。また、ツイッターでは「原発」や「節電」など当事者意識を持ち易い話題が比較的盛り上がっていた。
  • 震災から1カ月後、近畿地方の新聞の一面からは震災に関するニュースが殆ど無くなった。関東地方の新聞では震災のニュースではなく、原発のニュースが多くを占めていた。
  • 報道される被災地と報道されない被災地があった。市民は、伝えられる現場は知っているが、伝えられない現場は知らない。
  • 今回の震災報道では、被災地以外の人に被災地の様子を何とか伝えようと、ルポ風の記事が目についた。ルポでは書かれた人に納得してもらうことが大切になる。しかしアクセスを稼ぐことが優先されると、この視点が忘れられやすい。
  • 一人称ジャーナリズムは、しっかりとしたFACTやDATAが無ければ成り立たないのではないか。
  • 被災地以外の人に対する訴求力を高め、持続的に関心を持ってもらうにはどうすれば良いか考えたい。

なお、今回のワークショップからJCEJの運営に携わることになりました。